四旬節第3主日

日曜日の聖書

四旬節第3主日:イエス「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

四旬節第3主日(B年)の聖書=ヨハネ2・13~25 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第3主日:イエスが教える生の源、神への愛に燃えているか自問を

「商売の家にしてはならない」ために、「わたし」をじっくりと見つめてみましょう。信仰者として「生きること」それ自体が「宣教する」ことではないでしょうか!礼拝の中でいただいた恵みと力に助けられ、信仰の分かち合いが、日常生活の中で実践されていきます。
日曜日の聖書

四旬節第3主日:わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。

四旬節第3主日(A年)の福音=ヨハネ4・5~42 〔そのとき、イエスは〕ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第3主日:生き生きとした出会いを実現するために必要なこととは

サマリアの女は、イエスさまによって冷えきった心の壁を取っていただきました。すべてがさらけ出され、そこに新しい生きる水があふれるほどに流れ込んできました。わたしたちも生きている実感を、イエスさまとともに感じ取りたいです。そのような出会いを日々、実現させたいです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

四旬節第3主日:イエスの「神殿を三日で建て直す」が意味するものは?

「建て直す」は、「復活する」とも訳されるようです。そこで、今後は、エルサレムの神殿に替わって、イエスさまの体が神殿になり、ご聖体になってわたしたち一人ひとりの中に入られるということでしょう。つまり、一民族の宗教から脱皮し、世界民族の宗教になっていくことの宣言であるといえないでしょうか。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第3主日:神は忍耐深いが、甘え続けてはいけない。時を見て回心を

神は忍耐深く待ってくれる方なのです。人を救うためにご自分の独り子を派遣してくれる方なのです。しかし、神に甘え続けていることはできません。時を見て回心することです。
2011年/A年説教=神のみことば

四旬節第3主日:生きた出会いを求め続けたい。生きた出会いで人は素直に自分を開きます。

人との出会いは、単に一緒にいるだけでは意味をなしません。今日の福音に登場しているサマリアの女の言い分を聞けばよくわかります。彼女は、その人生の大事な時期に、大事な人・イエスさまと出会いました。彼女の言葉にはうそ偽りがありません。
2014年/A年説教=神のたしかさ

四旬節第3主日:絶望的な時であっても、希望をもち続けることが大切

今に生きるわたしたちにとっても、「救われた」「元気をいただいた」等、そのように感じた出会い、人、出来事があることでしょう。それらをしっかりと記憶しておくことでしょうね。それによって、次のステップへと飛躍できます。主よ、今日出会う人と、お互いに高め合うかかわりでありますように、・・・。
2012年/B年説教=主との出会い

四旬節第3主日:安らぎは神に!金銭の魔力に求めると「堕落」へ

イエスさまは当時の指導者階級のごまかしに目をつぶっているわけにはいかなかったのです。神への純粋さをなくした世界に、もう一度愛の炎を点じようとなさるのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

四旬節第3主日:神はそばにいる。不意の不幸にも「信じて生きる」訓練を

神の「沈黙」は何を意味するのか。わたしたち一人ひとりに「回心」のチャンスを与えようとしての恵みの時なのです。パウロは言います。「だれがキリストの愛から、わたしたちを引き離すことができようか」。
日曜日の聖書

四旬節第3主日:あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる

四旬節第3主日(C年)の聖書=ルカ13.1~9 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ビラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。