四旬節第3主日:安らぎは神に!金銭の魔力に求めると「堕落」へ

四旬節第3主日(B年)の説教=ヨハネ2.13~25

2012年3月11日

主との出会い

外国の方にとって、日本語は難しいというのが一般的です。といいながらも、日本人が知らない漢字を知っている外国の方がいるのも事実です。一生懸命勉強したのでしょうね。でも、現実に必要なことばをより多く知っておくことが、難しい言葉を知ることより自分らしさを出せるような気がします。これはわたしの体験でもありました。

ところで「堕落」という言葉を辞書で調べてみました。「まともに生きようとする心を失い、悪の道に入ること」、ある辞書には、この言葉は仏教語で「身を持ち崩し、品行が悪くなること」とありました。いずれをとっても、「おちる、くずれる」という意味合いが強調されています。ことばの中に込められていることばを使う人の心、思いはその表現に出てきます。表現とは、言葉の言い回し、語調、タイミングを含みます。

今日の福音書の話は、まさに、話す人(イエスさま)の心が如実に出ているものです。エルサレムの神殿は、たくさんの広場、回廊を備えています。過ぎ越しの祭りが近づくと、たくさんの商売人も登場し、利益を上げることをもくろみ、ありとあらゆる手段を講じて動き始めます。

悪いことに、祭司までもが私腹を肥やすために商人たちと結びつきます。金と富への執着が神殿の宗教性、信仰性をむしばんでいきます。こうして宗教の世界に、いつの間にか商人根性の思想が流れ込んでいきます。こうして「堕落」への道が準備されていきます。

これは、宗教の世界にとって致命的な落とし穴です。たとえ、いくら善意からの欲望であっても、金銭の魔力の中に立つということは、その人から宗教家の姿が消えうせていくことと等しいことになります。自らの安らぎが、神の中にではなく、金銭の快楽の中に溺れていくことになります。まさしく「堕落」です。

四旬節第3主日:イエス「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
四旬節第3主日(B年)の聖書=ヨハネ2・13~25 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。

こうした道筋をたどる当時の神殿の姿に、イエスさまは大胆に挑戦していきます。そして、そこにイエスさまの本音が噴出するのです。イエスさまの中にある神への思いは、激しいものがあったといえます。その思いが表に出てきたのが、今日の神殿におけるイエスさまの姿に表現されています。イエスさまのなさり方の根拠がここにあります。

当時の指導者階級のごまかしに目をつぶっているわけにはいかなかったのです。神への純粋さをなくした世界に、もう一度愛の炎を点じようとなさるのです。それは、社会から目をそむけられている人々に、救いの手をさしのべることによってなされるのでした。これがイエスさまのなさり方であり、武器(信念)でもありました。

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