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主の受難

日曜日の聖書

受難の主日:父よ、わたしの霊を御手にゆだねます、と言ってイエスは息を引き取った。

受難の主日/枝の主日(C年)の聖書=ルカ23・1~49〔そのとき、〕民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
日曜日の聖書

受難の主日:「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」

受難の主日/枝の主日(B年)の聖書=マルコ15・1~39 受難の朗読は長いので、ミサでは3人で分担して行われます。
日曜日の聖書

受難の主日:百人隊長や見張りの人たちは「本当に、この人は神の子だった」と言った。

受難の主日/枝の主日(A年)の聖書=マタイ27・11~54 イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
2015年/B年説教=イエスのこころ

受難の主日:ローマの百人隊長がこの人は神の子であったと宣言

百人隊長は、苦しみにじっと耐えながら前に進もうとしているイエスさまに、何を見たのでしょうか。何を感じ取ったのでしょうか。イエスさまの外見を見る限り、「神の子」であることを感じさせるものはないのに、・・。
2016年/C年説教=神のぬくもり

受難の主日:むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け(ルカ23.28)

受難の朗読がなされます。長いルカの朗読の中で、注目してみたい言葉が、嘆き悲しむ婦人たちに向けたイエスさまの言葉です。「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くことはない。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」と。
2011年/A年説教=神のみことば

主の受難:イエスは「神よ、神よ、どうしてわたしを見捨てられたのですか」と叫ばれた。

イエスさまは人から排斥され、しかも、心血をかけてきた愛弟子たちからも見放されていったのです。この事実をはっきりと認識できる今年の聖週間でありたいと思います。「わたし」の救いは、無実なイエスさまの苦しみの上に実現されたことを、改めて感謝することでしょう。
2012年/B年説教=主との出会い

受難の主日:全てが終わると思えた瞬間に新たな始まりが動き出す

人間の常識から見たとき、すべてが終わりと思うその瞬間に、新たな始まりが動き出すのです。ここに神のなさり方があります。日常生活の中で、ちょっと意識してみるといいですね。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

受難の主日:ゆるしをキーワードに神との絆を見直し、深めたい

受難の主日/枝の主日(C年)の説教=ルカ23.1~492013年3月24日今日からいよいよ聖週間に入ります。毎年のことながら、同じ典礼季節はめぐってきます。ただそれだけで終わっているとすれば、なんともったいないことでしょうか。今年の桜は、例...
2014年/A年説教=神のたしかさ

受難の主日:イエスの悲痛な叫びは弱い人間に共感する証

イエスさまが「・・・自分を無にして、人間と同じものになられました」という時、わたしたちに共感できる方であるということです。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれます。
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