『四旬節第5主日』の聖書と説教はこちら

年間第18主日

2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第18主日:人生の旅路の先に待っている温かい父なる神

人生の旅路のゴールには神が待っておられます。見てそれを分かることはできなくても、人生は神との出会いのための準備の旅路であるという意識と自覚があることを、芽生えることを祈りたいですね。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第18主日:「つぶやき」「不平」の元は、実は自分自身の中にある

「朽ちることのないパン」に対してわたしたちが受け止めている中味はどんなものですか。神を信じていることへのわたしたちの「つぶやき」「不平」の大きさはどうですか。信仰の中心にある「朽ちないパン」の重要さを今一度、振り返ってみましょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第18主日:「あなたがたが与えなさい」は現在の我々も求められている

イエスは、弟子たちに「あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」といわれます。今のわたしたちも同じように言われています。大群衆に食べ物を与えるなんて…どうしたらできるでしょうか?それは、イエスに頼るのです。イエスから、もっと光と力を引き出す弟子となることで…
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第18主日:真の豊かさ、賢さを願って、仲間と今できることを一歩前に

本当の金持ちとは?今日の福音はこのことを伝えようとしているのではないでしょうか。「神の前に豊かになる者」が本当の金持ちなんだ、とイエスは言われます。自分のためだけに金品を蓄えておいては、「愚かな金持ち」で終わってしまうだけだと。
2018年/B年説教=神への道標

年間第18主日:神を信じる道は、既に自分の命の苗床に植えられている

福音は「即効性」を期待し、「自分流」の世界に閉じこもっているユダヤ人が、イエスの真意にたどりつかないお話です。イエスは「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい」と言われます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第18主日:「わたしが命のパンである」=ご聖体の信仰の中心です

わたしたちはご聖体に生かされているのです。わたしたちの日常は、信仰者として道徳を実践することだけにあるのではなく、ご聖体を大事にする心をいつも認識しておく必要があります。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第18主日:人生の最終目的は、神との直接な出会い(天国)です

天国は、この世の延長上にあります。わたしたち一人ひとりの人生は、隣人(他者)との出会いを通して、神との出会いに向けられています。だから、今の生活で、日々の小さな積み上げを大事にしたいですね。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第18主日:イエスなしでは無力であることの自覚を促す

弟子たちが生きる意味を見いだせるのはイエスさまとつながっているときだけです。これを日々、わたしたちも自覚したいものです。それも、通常の生きかたの中で、・・・。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第18主日:蓄えるべきはモノ、金、名誉ではない!善行だ

年間第18主日(C年)の説教=ルカ12.13~212013年8月4日  「富は多くの友人をつくるが、貧しい人は友人に見捨てられる」(格言の書19章4節)とか、「金持ちが滑ると助ける人は多く、ばかなことを話しても、人はもっともなことだという。...
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第18主日:「自分の力」は他者の力、支援があればこそ威力を発する

イエスさまのみが存在の根拠。その人の欲のおもむくままに行動する時、「独裁者」の存在しか見えてきません。奉仕者の姿ではなくなります。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第18主日:群衆が理解しなかった聖体はカトリック教徒の原点

わたしたちの信仰は、イエスさまの論理的な教えの実践にのみあるのではなく、その中心には聖体に対する信仰があることを忘れてはいけないのです。聖体訪問を勧めます。
タイトルとURLをコピーしました