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年間第18主日:真の豊かさ、賢さを願って、仲間と今できることを一歩前に

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

年間第18主日(C年)の説教=ルカ12・13~21

2019年8月4日

時代とともに変わるもの変わらないもの

時が流れ、時代が変わっても、変わらないもの、事というものがあるようです。それは、人の心ではないかと。そうであれば、歴史を作るのが人間である限り、根本的には、変わるものがないということになりはしないでしょうか。でも、生活そのものは変わって、かなり便利な社会になってきました。人が何に関心があるのかによって、「変化」への道のりが決まってくるように思います。やはり、人は変わってきているのです。大事なのは、人としての「成長」「品格」でしょう。「人となり」です。

生活は便利になったが比例して犯罪が増えた?

生活が便利になるのはいいのですが、それに比例するかのように犯罪が増え、その犯罪のあり方も陰湿、醜いものになってきました。こう感じているのは、なにも、わたし一人ではないのではないかと思っておりますが、・・。それまでは聞いたことも見たこともない事件、親が子を亡き者にしたり、その逆の事件も増加しています。

遺産相続の問題は昔からある変わらないもの?

しかし、昔から変わることのない出来事に、「遺産相続」の問題があります。「地獄の沙汰も金次第」というわけではないでしょうが、この問題については、古今東西、人間の大いなる関心事であることに変わりはないようです。その中身にも変化があるのでは、・・。

富や財産への執着は、いつの時代においても、増大することはあっても、衰えることはないということでしょう。人が人で存在する限り・・。事実、それらはわたしたち人間にとって魅力的であるからです。先ずもって、財産があるということは、生活する中で、安心感があります。それこそ、衣食住の調和がとれている中での日々となるからです。みじめな思いを抱く必要もなく、それによって、わたしたちの心も落ち着いていきます。その上、「わが道」を安心して、新たな段階へと切り開いて行くことができます。

カネが現実的な力であることは否めない

その一方で、人生を生きていくうえでの、現実的な力であることも否めません。「金の切れ目が縁の切れ目」といわれるように、金のあるうちは人がちやほやしてくれるが、金がなくなると人が冷たくなって人間関係が切れ、みなが寄りつかなくなってくるというものでもあるようです。旧約聖書にも、貧と富がもたらす人間社会の現実を伝えている言葉があります。「富は友の数を増やすが、貧しい人は、その一人の友からも見放される」(箴言19の4)とか、「金持ちが足を滑らすと、友人が支えるが、身分の低い人が倒れると、友人ですら彼を見捨てる。金持ちが滑ると助ける人は多く、馬鹿なことを話しても、人はもっともなことだと言う。しかし、身分の低い人が滑ると、人々は彼を責め、たとえ賢いことを話しても、何の注意も払わない」(シラ書13の21~22)。

聖書の中にも金持ちの話は出てくるが・・・

こうした姿は、現代社会の中でも見かける光景ではないでしょうか。金持ちとか社会的な地位の高い人は、もてはやされ、丁重にもてなされます。その上、不思議なことに、このような方は、一見、立派な賢者に見えてきます。その人の置かれている環境、地位がその人をその気にさせてしまい、周りの人もその影響を受けて、情報が先走ってしまうのでしょうか。

しかし、人の表面をいろいろな名声、地位によって飾り立てることはできても、その人の本質を変えてしまうほどの影響力にはならないのが、これまた現実です。その証拠に、人としての限界、病、老い、死は、すべての人に例外なく訪れることです。中でも、死はすべての人に例外なく、公平にやってきます。医学が素晴らしく進歩したとしても、それによって、人間の寿命がいくら長くなったとしても、「死」を避ける力はありません。その時、豊かな財産を持っていても、それらを身に携えていくわけにはいかないのです。この世に残すことになります。

年間第18主日:自分のために富を積むより、神の前に豊かになりなさい
年間第18主日(C年)の聖書=ルカ12・13~21 〔そのとき、〕群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」

本当の豊かさとは何か?が今日のテーマ

本当の金持ちとは、・・。今日の福音はこのことを伝えようとしているのではないでしょうか。「神の前に豊かになる者」が本当の金持ちなんだ、とイエスは言われます。あくまでも、自分のためだけに金品を蓄えておいても、「愚かな金持ち」で終わってしまうだけだといわれるのです。また、財産をたくさん持っているからといって、その人の命が、人生が偉大であるとの評価につながるものでもありません。神の前では、人は生まれたときと同じように裸のままです。「母の胎内から出てきたときと同じく、彼は裸で来、裸で去っていく」(コヘレト5章14節)のです。

死の前では金品、地位名声は役に立たない

「死」を前にしたとき、財産、資産、地位、名声は何の役にも立ちません。自分をかばってくれるものはないのです。人もいないのです。現実の生活を楽しむことがいけないというのではなく、そのことだけにきゅうきゅうとしていることは意味がない、といわれます。今日の福音に出てくる「愚か者」になってしまうのです。神の前に出て行くため(救いのため)に、日々を重ねています。自分のみならず、多くの方々とともに一歩前に進むのです。

「愚か者」にならないために、今、「わたし」に何が求められているのでしょうか。自分一人で思うのではなく、傍らに居る仲間とともに追及して、生き続けたいですね。「わたし」も社会もよりよい変化を遂げることを願って。できることから始めましょう。今日も一歩前へ。

 

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