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聖霊降臨:霊の働きかけを聞いていますか、見ていますか、感じていますか

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

聖霊降臨(C年)の説教=ヨハネ14・15~16、23b~26

2019年6月9日

道徳教科では運動選手を引用する事例が多い

2018年度から小学校で教科化された道徳。授業は学習要領にある項目「希望と勇気、努力と強い意志」を教えるのが狙いであるといいます。現行の教科書には、上野由岐子選手(ソフトボール)、内村航平選手(体操)、吉田沙保里さん(レスリング)ら多くのメダリストが登場。挫折や困難を克服し、努力を続ける姿が描かれています。東京都大田区立東六郷小学校の宮田千波教諭(60歳)は「アスリートを扱った話は子どもが共感しやすい。敗者へのいたわりや礼儀も伝えられる」と言います。こうした状況について、武蔵野大の貝塚茂樹教授(道徳教育論)は「スポーツ選手は教材として政治的、宗教的な中立性も確保しやすく、事例が増えているのでは」と指摘しています。(讀賣新聞大阪本社、2019年6月3日朝刊)

共鳴できる前向きな言葉をかける指導法

一方で、わたしが共鳴できるなと思った情報が掲載されていました。「仲間と協力 楽しむこと」から入る指導法です。大阪体育大近くの体育館で、小学生が手打ち野球を始めました。池上正さん(62歳)が笑顔で「うまい」「惜しい」と前向きな言葉をかけ続けています。詳しくルールを伝えておらず、守備位置はめちゃめちゃで、子ども同士が教え合うのです。本来、池上さんはサッカーで知られた指導者ですが、これは子どもたちが、すきな競技と出会うきっかけ作りだということです。

「今の子どもはコミュニケーションを取るのが不得意。コーチが指示するのではなく、自分で考え、仲間と協力するなど、楽しくやってこそ学べることがたくさんある」と池上さん。また、日本の指導は、だめな点を指摘することが多いともおっしゃいます。「大事なのは、どうやれば子どもたちが自分から動くか。わたしが心がけるのは、叱ることでなく『諭す』。人が育つには時間がかかる。長く見ることが大事です」と。

子どもの成長の要にあるのは親の無償の愛

わたしたちの日々の営みでは、その場その場が「育ち」のステージではないかと思います。人生そのものが「育ち」の本番なのです。リハーサルなしのいきなりの本番です。ですから、「今から教育プログラムです」「今から遊びの時間です」ということは現実的にはないと思っています。だから、普段の親の、大人の生きている姿がすべて、子どもたちにとって「育ちの肥し」になっていきます。

したがって、子どもたちの年齢に沿って「教育のステージ」は自ずと、少しずつ変わっていき、時間を要します。じっくりと上乗せされていくのです。これが人生の年輪となってその人らしさが形成されていきます。その要にあるのは「親の愛」でしょう。

聖霊降臨:父が遣わす聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくれる
聖霊降臨(C年)の聖書=ヨハネ14・15~16、23b~26 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、

イエスとその弟子たちの関係においても同じことが言えます。そのかかわりの中心にあったのが「愛」です。わたしたちが日常使っている「恋愛」の「愛」とはずいぶんと違うようです。「あの人が気になってしょうがない。好きになってしまった」というのは、年頃になると、自分にとって好ましいと思われる相手に、自然にわきあがってくる思いであり、感情です。あくまでも自分を中心にした「好き、嫌い」という相手方とのかかわりです。

神の愛は皆に無償で、打算も駆け引きもないが

神の愛は、打算も、駆け引きもない、無償の愛です。わたしたちが、弟子たちがまずいことをしでかしたとしても、咎めることを優先するのではなく、そっと温かい眼差しを向け、見守ってくださる愛です。

このような愛を文字通り実践することが人間にできるか、と問われれば、不可能に近いことです、と答えざるを得ません。できるとしても、ごくまれなことでしょう。親の愛は近いのかなと思いますが、・・。しかし、醜いエゴイズムをその内に抱えている限り、相手のしあわせのために自分を無にしてしまうなんて極めて困難なことのように思えます。

その愛を悟らせてくれるのは、神が遣わす聖霊

結局、そのような「愛」は神からのものなのです。そのことを悟らせてくださるのは、神から遣わされる弁護者、聖霊であるとイエスは言われます。わたしたちとともにいるようにしてくださるのです。イエスとともに過ごしてきた弟子たち。弟子たちには分かりえなかったイエスの言動が、霊の働きによって明らかにされていきます。その度に、弟子たちは成長し、イエスの生涯をとらえなおすことができるようになったのでした。聖霊の働きかけに、「自ら」を任せきれた弟子たちの成長は、イエスとの関わりの実りだったといえないでしょうか。イエスは、何も特別なことをしたわけでもなく、普通に日々を重ねていったその先に、弟子たちの「成熟」という実りがついて来たのでした。これが本来の「教育」というものではないんでしょうか。

そして、霊が注がれて、そこに教会の誕生が実現したのです。「地上を旅する教会は、父である神の計画に従って、御子の派遣と聖霊の派遣とに由来するのであるから、その本性上、宣教的である」(教会の宣教活動に関する教令2番)。

日常のことで聖霊の働きを邪魔しないように!

わたしたちの中には、本来、神から与えられているタレント、恵みがあります。それを覆い隠していく様々なものが、外側から次から次へと加えられていきます。霊の働きを邪魔してしまうほどの強力なものもあります。本来の「わたし」の姿、イエスを伝えること、に気づき、生きる「楽しさ」を一日一日と味わってみましょう。時間はかかっても、・・。

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