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聖霊降臨:父が遣わす聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくれる

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聖霊降臨(C年)の聖書

聖霊降臨(C年)の聖書

聖霊降臨(C年)の聖書=ヨハネ14・15~16、23b~26

2022年6月5日

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
14・15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

23bわたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

24わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。

26しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

日曜日の説教もどうぞ!
日曜日(主日)の聖書に続いて、YASUさんの説教(メッセージ)はいかがでしょうか!
YASUさんはカトリックの神父さんです。

2022年6月5日の説教

聖霊降臨:わたしたちの教会と「わたし」の新たな旅立ち⇒時代への対応
聖霊降臨の大祝日に、「わたし」は今の時代の要請にどう立ち向かいますか。イエスの掟、言葉を実践の場でどう生きるかが、今もいつも問われています。

2019年6月9日の説教

聖霊降臨:霊の働きかけを聞いていますか、見ていますか、感じていますか
わたしたちの中には、本来、神から与えられているタレント、恵みがあります。それを覆い隠していく様々なものが、外側から次から次へと加えられていきます。霊の働きを邪魔してしまうほどの強力なものもあります。本来の「わたし」の姿、イエスを伝えること、に気づき、生きる「楽しさ」を一日一日と味わってみましょう。

2016年5月15日の説教

聖霊降臨:聖霊が働きやすい環境を自分の中で作っていますか?
どうすればいい環境づくりができるのでしょうか。「無である」こと、ことばを変えれば、神の働きに対して「受身的存在者」になることでしょう。そこには「我(が)」はないのです。

2013年5月19日の説教

聖霊降臨:神に委託する心が大事!人間力には限界がある
聖霊降臨(C年)の説教=ヨハネ14.15~16、23b~26 2013年5月19日      「増える施設の子ども」の見出し活字が(讀賣新聞西部版2013年5月17日朝刊)、いち早く目に入りました。家庭を失う子どもが増えているといいます。そ...

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第一朗読>>使徒たちの宣教

(使徒言行録2・1-11)

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

第二朗読>>使徒パウロのローマの教会への手紙

(ローマ8・8-17)

〔皆さん、〕肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、〝霊〟は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

日曜日の聖書
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