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聖霊降臨:「時」は何かを語り、教えてくれる。その中身をしっかりと聴き、心に留めよう

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聖霊降臨(B年)の説教

2024年(B年)説教の年間テーマ=あなたの言葉は「わたし」の道の光

聖霊降臨(B年)の説教=ヨハネ15・26~27、16・12~15

2024年5月19日

みなさん、普段はあまり意識したことがないかもしれないことを、あえて取り上げてみましょう。それというのは、毎日いただいている「時間」を効果的に使いきれているでしょうか、ということです。普段はあまり意識して行動することがないのではないかと、・・。今日はこれをしよう、あれをしようと計画するでしょう。それって、仕事上要求されるからする、または、自分がしたいからするという動機付け等で動きます。そして、その計画を実践し、動いた結果として、その業が誰かのためになっているというのが通常で、また確かなことです。このような日々が、何も意識しないでも積み重ねられていきます。

それらを終えて振り返るときに、達成感、充実した満足感があるか否かで、自分の気持ちが変化するのも通常でしょう。これがまた、発展し、よりよく成長していくためのエネルギーになっていきます。気持ちが充実してくると、体調にもいい変化が表れてきます。心身ともに元気で、健康を維持している限り、毎日の瞬間瞬間が充実した効果的な「時」になること間違いなしです。みなさんが各々の体験からわかっていることではありますが、・・。 

今日は聖霊降臨の主日です。そして、聖霊による教会の誕生を明らかにしています。

ここで強調されているのが、「祈っている」弟子たちです。イエスの死後、やっと彼らは一堂に集まることができました。しかし、いくらイエスの復活を知っていたとはいえ、いまだに臆病な人間の集まりにすぎません。ユダヤ人を恐れ、権力を持つ人と町の人々を恐れている弱い人間の群れ、集まりでしかなかったのです。

彼らは、イエスの生前をよく知っている人たちです。つまり、イエスの教えを聞き、知り、イエスに親しくふれて生活を共にしていたにもかかわらず、その神秘を直接目撃することもできなかった人たちです。イエスと同じ心を生きることのできなかった人たちです。

イエスはこのような弟子たちに、最後の晩餐の席で「別れの説教」をなさいました。その中身の一部が、今日の福音の中で取り上げられています。すなわち、

「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。・・・言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」

ここでの「弁護者」は聖霊のことです。しかし、Ⅰヨハネの手紙2章1節では「 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」と述べられています。つまり、わたしたちは二人の弁護者、イエスと聖霊に守られ、元気づけられて、今この地上で生きているのです。

聖霊降臨:その方が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる
聖霊降臨(B年)の福音=ヨハネ15・26~27、16・12~15 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

今日の福音で「弁護者」と訳されている言葉は、「助け主」とか「慰め手」という訳語も可能です。そして、この「弁護者」は、弟子たちから離れて父のもとに戻られるイエスが御父に願うことによって、イエスに代わって派遣されます。そして、弟子たちのもとに常にとどまり、すべてのことを教え、イエスの言葉を思い起こさせ、イエスについて証しするのです。

イエスは弟子たちから離れて御父のもとへ戻りますが、それは彼らを「みなし子」にするのではなく、むしろ両者のかかわりをさらに強めるためであったのです。イエスは「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」(ヨハネ16章6~7節)と語り、弟子たちを勇気づけておられます。その弟子たちが祈りの時を大事にしたのです。単にユダヤ人たちから逃げているのではなく、その時、聖霊の派遣の「時」を祈りのうちに待っていたのです。

その弟子たちは、自らが弱く、卑怯者であり、ずるく醜い存在であることを重々承知しておりました。でも、そうした現実から抜け出すためには「祈り」の時が大事であるということもよく知っています。現代の教会を背負っているわたしたち。そのわたしたちも弟子たちと同じく弱さ、醜さ等を身に帯びた存在です。彼らと同じく、「祈りの時」の必要性を感じているでしょうか。聖霊との出会いがなければ、余りにも人間的な次元の教会が、それを超えた真の教会の神秘的な次元に脱皮することはできないのです。イエスは言われました。「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」と。

教会を構成しているわたしたち一人ひとりが、「時」の使い方をちょっと意識すれば、工夫すれば、新たな展開がなされることでしょう。聖霊のたすけを祈りながら待ちましょう。

このことに信頼し、さらに願い、祈り続けましょう。

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