四旬節第2主日

2018年/B年説教=神への道標

四旬節第2主日:イエスは沈黙を守る。その心は人の思いを超えたところに!

ペトロは、自分が思っているメシアとは真逆のイエスさまの姿を、しっかりと見るように促されています。私たちも、何かのとりこになっているとすれば、本来の姿へと呼び戻されたいです。それも、人間の思いを超えたものへと思いを馳せることができれば、・・
日曜日の聖書

四旬節第2主日:死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。

四旬節第2主日(B年)の聖書=マルコ9・2~10 〔そのとき、〕イエスは、ただベトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
日曜日の聖書

四旬節第2主日:イエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

四旬節第2主日(A年)の聖書=マタイ17・1~9 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。
2015年/B年説教=イエスのこころ

四旬節第2主日:高い山上でのご変容は、神の思いと人間の思いの交流点

ご変容の目的は、明らかに弟子たちの信仰を固めるためであったのです。同時に、それはイエスさまが、おん父が定めたご自分のこれからの道のりを受け入れる「はい」という返事をくだされた出来事でもありました。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第2主日:日常と記念の日を、ともに大切にすることで成長したい

「日常」が得意な男性のみなさん、女性も家族も満足できるような豊かな信仰生活、社会生活をいかにリードできているでしょうか。そのリードにちゃんと乗っかって歯車が合わさっている家族の状態を日常的なものにしたいですね。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第2主日:イエスは今日も呼びかけている!あなたは真のわたしの弟子ですか?

「わたし」の日常で、あっと驚く、励まされる「暴露出会い」はありませんかね。あるとすれば、イエスさまの招きです。ご自分の歩まれた道に、わたしたちが自分の人生を合わせることを求められるイエスさまが、今日、呼びかけられます。
2011年/A年説教=神のみことば

四旬節第2主日:「彼に聞け」とは、本能のままではなく、イエスの生き方に学べ!ということ

イエスさまにかかわって生きる人にとって、「イエスに学ぶ」ということは避けて通れない現実です。つまり、わたしたちにとって後戻りできない生き方がそこにはあるのです。一度振り上げた手を下ろすことができないように、自ら選択した信仰の道は、前に進むしかないのです。
2012年/B年説教=主との出会い

四旬節第2主日:真の救いはイエスの十字架の死を通してしかありえない

神のなさり方には、人の思いをはるかに超えた思いと動きがあります。わたしたちの日常の苦しみ、辛さも、その先には、平安、楽しさ、安心がまっていることを確信したいものです。
日曜日の聖書

四旬節第2主日:「これはわたしの子、これに聞け」と言う声が聞こえた

四旬節第2主日(C年)の聖書=ルカ9・28b~36 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

四旬節第2主日:祈りができないときは祈祷書を使う。神の声に耳を傾ける

日常で、毎日の祈りができない瞬間、時、日があります。学生時代は、そのようなときは祈祷書を使いなさいと言われたものです。日常を述べる、語ることばかりではなく、神に耳を傾けることも大事ではないかということです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

四旬節第2主日:イエスの問いかけ、矛盾に見えることを受けますか?

イエスは神本来の自分の姿を「捨て」て、わたしたちの人生にご自分の人生をあわせられたのです。そして、弟子たちにその心構えをお示しになったのでした。それは、今のわたしたちに対しても同じことが言えます。