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四旬節第2主日:祈りができないときは祈祷書を使う。神の声に耳を傾ける

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四旬節第2主日(C年)の説教=ルカ9.28b~36

2013年2月24日

寄り添うイエス2013年2月11日(月)、ベネディクト16世教皇様が、突然の辞任発表をなさいました。各界からは教皇様の誠実、謙遜で勇気ある決断、として受け入れられています。はじめは驚きの声から、次第に深い印象をこの世界に残した教皇としてたたえられています。
歴史は想像もできないほどの影響を人間に与えます。それがよいものであれば徐々に成長していくでしょうし、悪いものであれば是正されていく力を秘めています。本来はそうであると思いますが、現実はなかなかそうとはいかないのが事実でしょうか。

ベネディクト16世教皇は「信仰年」を宣言し、カトリック教会の伝統と公会議の継続性を支持なさっています。その中身は、人間と創造主(神)との関係を憂慮なさってのことです。信仰は、神により頼んで仰ぐ時に生じるわたしたち人間の叫びだからです。したがって、信仰の相手はいつも神なのです。人は叫びは大きく上げるのに、その時だけで、後は忘れるか、眠り込んでしまいます。そして、そんなに気にしません。そうしたとしても、わたしたちの日常に大きなマイナス現象は起こり得ないからでしょう。

今日の福音の中で、3人の弟子たちは「ひどく眠かった」とあります。この眠いという現象が、実は弟子たちの本来の奉仕作業を放棄している、ことになりはしないかと思ってしまうのです。その前に、弟子たちは、イエスさまの受難の話を聞かされています。彼らにしては、それ以上は億劫なのです。「眠かった」という表現は、弟子たちの心のありさまを表現しているのではないかと感じます。

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わたしたちの日常で、毎日の祈りができない瞬間、時、日があります。その時にわたしたちはどう対処しているでしょうか。学生時代は、そのようなときは祈祷書を使いなさいと言われたものです。日常を述べる、語ることばかりではなく、神に耳を傾けることも大事ではないかということです。今の自分がそこになかったとしても、祈祷書を使うことによって、祈り方を成長させていく時でもあるよという、隠れたメッセージが「祈れない」という事実の中にあるような気がします。

教皇様は、みなから隠れたところでお祈りをし、自ら決断されたことと思います。「多くの急激な変化を伴い、信仰生活にとって深刻な意味をもつ問題に揺るがされている現代世界にあって、聖ペトロの船を統治し、福音を告げ知らせるには、肉体と精神の力がともに必要です」と、辞任の理由を述べられました。

イエスさまも重大な出来事の前には、みなの前から退いて、一人祈られました。これに倣っての行動をとられたのでしょう。わたしたちも、自分に託された奉仕作業をわきまえ、謙虚に神に訴えたいですね。

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