復活節第2主日

日曜日の聖書

復活節第2主日:わたしを見ないのに信じる人は、幸いである。

復活節第2主日(B年)の聖書=ヨハネ20・19~31 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
2018年/B年説教=神への道標

復活節第2主日:復活は、人の感覚を超えた世界に気付かせる神の恵み

ものごとを見る視点が変わることで、本物にたどりつきます。現実の問題も同じでしょう。問題の根に気付きたいですね。人の育ちの問題はどこに根っこがあるのでしょうか。今こそ心の目を見開き、一人ひとりが新たな視点に出会っていきたいです
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第2主日:イエスは太陽と同じく、すべての人に平安とゆるしを与える

弟子たちは復活したイエスさまから、確かな勇気と平安が与えられることを実体験しました。わたしたちの信仰の太陽は、主の「復活」です。太陽(イエスさま)そのものを見つめることはできませんが、太陽に照らされるものを見つめることはできます。
日曜日の聖書

復活節第2主日:弟子たちはユダヤ人を恐れて、家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが現れた。

復活節第2主日(A年)の聖書=ヨハネ20・19~31 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第2主日:人の常識を超えたところに発見される信仰の芽生え

トマスという人は、現代的な言い方をしますと、自分に正直な方なんではないかと思います。仲間から「主の復活」の話を聞いても、人間的な常識のなかで判断しています。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第2主日:神の怒りは一瞬だが、神のいつくしみは永遠に続く

直接にイエスさまを見ることができなくても、弟子たちの言葉を信じる人たちには、救いの喜びが、幸いがあるとの確証が与えられました。今日は「神のいつくしみの主日」です。
2011年/A年説教=神のみことば

復活節第2主日:イエスは裏切った弟子たちを咎めず、「あなたがたに平安」と言われた。

イエスさまの死は、今も将来に向けてもまったく希望を抱けないほどのショックな出来事でした。ユダヤ人を恐れて戸を閉め、集まっていた弟子たちの間にご自分をお示しになり、一言おっしゃいます。「あなたがたに平安」と。
日曜日の聖書

復活節第2主日:イエス「わたしを見ないのに、信じる人は幸いである」

復活節第2主日(C年)の聖書=ヨハネ20・19~31 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活節第2主日:恐れるな。わたしは死んだが、いつまでも生きている

この世で、どんなに強い人の悪意に押しつぶされそうになっても、それで終わりではないことを証明してくれたのが、今日のトマスへのご出現でした。「見ないで信じる人は幸い」の世界に生きているのが、今のわたしたちです。主よ、信仰を強めてください。
2012年/B年説教=主との出会い

復活節第2主日:イエスと私たちは竹馬の友。だから託せば良いのです。

トマに対するイエスさまの態度は、ひたすら癒しの言葉とやさしい表情を投げかけます。私たちもイエスさまから見捨てられることはないのです。ただ、わたしたちは賭ければいいのです。託せばいいのです。だって、イエスさまとは「竹馬の友(?!)」なのです。