復活節第2主日(C年)の説教=ヨハネ20.19~31
2016年4月3日
「いつくしみは正義に反するものではなく、罪びとに対する神の振る舞いです。神は悔い改め、回心し、信じるために新たなチャンスを与えます」。教皇フランシスコは、今年の「いつくしみの特別聖年」に当たり、大勅書を公布なさいました。その中の一節(21番)を引用しました。
「いつくしみ」には「ゆるし」が背中合わせのようについて回ります。そして、いつでも立ち直る機会を提供し続けるのです。それが神の特徴でもあります。聖アウグティヌスの言葉が引用されています。「神にとっては、いつくしみを抑えるよりも怒りをこらえるほうがもっとやさしい」と。神の怒りは一瞬ですが、神のいつくしみは永遠に続くものです。
わたしたちの日常生活から「ゆるし」がなくなったらどうなるでしょうか。生きてはいけないのではないでしょうか。わたしたちはどこかでゆるされ、また、ゆるしているのです。少なくとも、ゆるされ続けています。
イエスさまの弟子たちへのご出現は、「週の初めの日」となっております。この日はイエスさまの復活が起こった日であり、イエスさまをメシアとして信じる人にとって、共に集まり、祭りごとを行う日(主の日)となっていきました。弟子たちの真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われます。この「平和」は弟子たちを、イエスさまと同じ使命に目覚めさせ、全世界へと送り出す力となっていったのでした。いわゆる、イエスさまの後継者となっていったのです。
疑いから信頼へと弟子たちは変えられ、その姿をトマスに見ることができます。そして、トマスに言われた「見ずして信じる者は幸い」という言葉は、今のわたしたちへのメッセージでもあり、トマスの救いは、わたしたちの救いと重なり合います。直接にイエスさまを見ることができなくても、弟子たちの言葉を信じる人たちには、救いの喜びが、幸いがあるとの確証が与えられました。
主の復活は、それほどの祝日なのです。神のいつくしみが頂点に達した祝いの日です。今日は「神のいつくしみの主日」です。
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