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年間第26主日

日曜日の聖書

年間第26主日:わたしを信じる小さな者の一人をつまずかせてはいけない

年間第26主日(B年)の聖書=マルコ9・38~43、45、47~48 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」
2018年/B年説教=神への道標

年間第26主日:改革は小さい事から始まる。まずは心と意識の変革が大事

「改革」は、形も大事ですが、先ずは、心、意識の変革から始まるのではないでしょうか。制度をいじるのも結構ですが、いじる人の心はどうなんでしょう。大きな変革は、小さなことから始まります。一滴の水が集まって大海原となります。時をかけて、時を大事に「しもべ」になられたイエスさまについて行きましょう。
日曜日の聖書

年間第26主日:兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して実行した

年間第26主日(A年)の福音=マタイ21・28~32 ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第26主日:心の声を聞いて考え直すことが人間らしく生きる秘訣

今日の福音で注目したい表現があります。兄が「考え直して」畑に行ったという言葉とその思いです。はじめは、束縛されるのが嫌だなと思ったのでしょう。その思いがあって反射的に「ノー」といったのでしょうが、その後、彼の中で落ち着きがなくなったのではないでしょうか。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第26主日:大事なことは純粋に相手の救いを願っているかどうかです

弟子たちが「特権意識」から謙虚になっていったように、わたしたちも「否定的言動」から解放されることを願いつつ、周りの人に注意を払えるようになりたいものです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第26主日:周囲に「ラザロ」はいませんか。ラザロに出会った時どうしますか?

教会は「今」を大事にするように言います。それは、今の生き方のその先に、来るべき世の生き方への繋がりがあるからです。したがって、この世でどのように生きるかがいつも問われ続けます。
日曜日の聖書

年間第26主日:モーセと預言者に耳を傾けないのなら、死から生き返る者の言うことも聞き入れはしない

年間第26主日(C年)の聖書=ルカ16・19~31 〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第26主日:おもてなしは敏感な感受性をとぎすますこと

「おもてなし」は他者に開かれた人間本来の生き方が込められています。自分が持っている命も財産も、すべてが他者のために活かされてこそ、本来の価値が、重みが出てきます。自分が持っているものは、所詮、自分のためだけにあるのではありません。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第26主日:自己中心に動く人に真の救いはあり得ない

狭い心ではなく、広い心をそなえた人として動く時、イエスさまの意図することが分かり、真の救いに到達できるのです。そこには俗っぽい駆け引きは存在しません。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第26主日:人間には「悔い改める」という行為ができます

悪いと思いなおして態度を改めていくのです。このようなことを何度も体験なさってきたのではないでしょうか。そこに、わたしたちの成長があります。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第26主日:良心の働きに気付いた時が「考え直す時」です

今日の福音に登場する二人の兄弟は、二人とも「幻惑」と「考え直す」時を体験し、一人は「あるべき道」に戻りましたが、一人ははずれていきました。