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年間第26主日:良心の働きに気付いた時が「考え直す時」です

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年間第26主日(A年)の説教=マタイ21.28~32

2014年9月28日

message-eycatch日本の地方、地域、職場等において、9月は「敬老会」の行事が予定されているのではないでしょうか。場所によっては、敬老会にお招きする年齢に、変動が生じてきたのではないかと思っております。

招待者リストの年齢を引き上げないと対応できないほどに、高齢者が多くなってきた現実があるからです。長く生きるということは、それだけ自分の人生を振り返り、考え直す機会をいただいていると受け止めるべきではないのでしょうか。その事が、とりもなおさず周囲の若い人たちにもいい刺激になっていくことでしょう。こんなにして人は成長し、大きくなっていきます。

「振り返り、考え直す」という行為は、人としてのあるべき道から逸れていればそれだけ、重要な行いになっていきます。「あるまじき道」という感覚が、その人の心にあらわれてくる時、それは良心の働きといえます。罪をおかしたときの罪悪感、心の呵責、また、それほどこれまでの悪いことはしていなくても、生きる姿勢が充実していない時に覚える虚無感等、広い意味での良心の働きといえるでしょう。

どのような人の心にも良心の働きはあります。これまでの生き方の中で体験しているように、良心の働きにそって生きることはそう簡単なことではありません。わたしたちの中にはいろんな欲求があって、それらに幻惑されるからです。つまり、目先のしあわせ、楽しみにひかれてしまうのです。こうした欲求にひかれているうちは、良心の働きは減退します。がしかし、良心は働き続けています。それに気付いた時が「考え直す時」なのです。

今日の福音に登場する二人の兄弟は、二人とも「幻惑」と「考え直す」時を体験し、一人は「あるべき道」に戻りましたが、一人ははずれていきました。二人の兄弟の結果だけが記されていますが、良心の働きを無視した二人の心理状態は明らかにされていません。

きっと、不安を覚え、精神的な落ち着きも失くしたのではないかと思われます。つまり、人としてのあるべき道を指し示す良心と自分とのたたかいが始まり、自己分裂状態になるからです。

イエスさまの福音は、目先の欲望に浸りきっている人への呼びかけなのです。とはいっても、それに応えるにはかなりの辛さと勇気がいります。今日の福音の兄は、どのようにして「あるべき道」に戻ることができたのでしょう。

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多分、父親の息子たちに期待した想いに気付いたのではないでしょうか。父親が、ブドウ園で働くように願ってきたのは、どんな働きをして、どれだけの収穫があったのか、働く者同士で、分かち合ってほしかったのでしょう。

いつの時代も、「働く」ということは人を充実させてくれます。満足感を抱かせてくれます。その事を知る、知らないでは、人となりにもかかわってきます。

日々の小さな積み重ねを大事にしていくところに、良心の豊かさもついてきます。

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