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年間第26主日:無言の中にも敏感に聞きとる、心のアンテナを大切に!

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

年間第26主日(C年)の説教=ルカ16・19~31

2019年9月29日

化粧品メーカ「マンダム」(大阪)が2017年、働く25歳~49歳の男女約1000人に聞いた調査で、同僚らの身だしなみで「どうにかしてほしいこと」(複数回答)は、体臭が67%で1位、口臭が60%で続き、フケや鼻毛よりも多かったそうです。いわゆる、職場で他人のにおいが気になるという人が多くなったという結果でした。(讀賣新聞大阪本社、2019年9月24日朝刊)

スメハラ対策に乗り出した会社の話

同社によると、30代半ばから50代半ばの現役世代の体臭は「ミドル脂臭」と呼ばれ、廃油のような悪臭とされています。自分の臭いには慣れて気づきにくいですが、微量でも他人の臭いは気づきやすく、さらに女性は男性よりも不快に感じる度合いが高いといいます。同社広報の奥啓輔さんは「女性の社会進出が広がって職場の臭いに敏感な従業員が増え、誰もが働きやすい職場環境の一つとして臭い対策の必要性が注目されるようになったのではないかと」と話しています。

そこで、「さわやか息イキ制度」を始めた会社があります。インターネット動画制作などを手がける「ファイブゲート」(東京)です。それは、口臭対策にもなる菓子を全従業員に無料で支給するという制度のことです。従業員の求めに応じて、チームリーダーが随時、菓子の小箱を手渡すのだそうです。

発案者の野崎晴道さん(31歳)は、中途退職した若手から指摘されたことがきっかけであったといいます。それは、たばこの残り香などが理由の一つで、職場の臭いに対する危機感でした。臭いで周囲を不快にさせる「スメルハラスメント(スメハラ)」という言葉があることも知り、「新入社員など若い世代は職場の臭いに敏感なのでは」と心配になったのだそうです。

人間関係にも関連している他人の臭い

東北大教授(心理学)の坂井信之さんによりますと、他人の臭いが気になるのは、人間関係にも関連しているといいます。坂井さんは「スメハラが問題になる職場は人間関係がうまくいっていないことが多い。誰かを『くさい』と思うのは、実際の臭気だけではなく、不快な人間関係を映していることもある。そのことに気付くことが、スメハラ解決の第一歩になるかもしれない」と話しています。

目くばり・気くばり・心くばりが大事

わたしたちは誰かと関係を持ちながら毎日を過ごしています。また、そうしないと、人間らしい「自分」を構築できないでしょうし、より人間らしくなってはいかないのではないでしょうか。したがって、意図して他者を困らせようとしていないのに、結果的に嫌な思いをさせてしまっていることはよくあることです。だから、どのような状況の中でも大事なことは、やはり、「慮る心」ではないかと思います。目くばり・気くばり・心くばりではないでしょうか。

年間第26主日:モーセと預言者に耳を傾けないのなら、死から生き返る者の言うことも聞き入れはしない
年間第26主日(C年)の聖書=ルカ16・19~31 〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。

さて、今日の福音には、典型的な二人の人が登場します。一人は裕福な金持ち、一人は、日ごとの食べ物に汲汲しているラザロとよばれる貧しい人です。金持ちの人は、それこそ、自分の好きなままに暮らしていました。一方のラザロは、飢え、渇き、病に侵され、社会の底辺に生きる、いわば、見捨てられた存在です。

金持ちとラザロの間には「大きな淵」

二人のこの世における生き方の違いは、死後の世界でも同じく、しかし、真逆の違いとなって表現されています。この世では、金持ちは盛大な葬式によって葬られたのでしょうが、ラザロは葬られもしないで「み使いたちによってアブラハムのふところに連れていかれた」のでした。

炎の世界でもだえ苦しむ金持ちは、ラザロに水を運んでもらうように頼みますが、金持ちとラザロの間には「大きな淵」があり、そうすることができません。生前、金持ちは門前にいたラザロとその「門」を境に「大きな淵」を知らないうちに作っていたのです。

大きな淵は金持ち自らが作ったもの

つまり、イエスの話の中で、ラザロと金持ちの間にある「大きな淵」は、金持ち自らが作ったものであったのです。すなわち、金持ちは、自らの財産(富)を貧しい人と分かち合っておくべきだったのです。

先週の福音書にあった不正な管理人のように。これが永遠の救いに、住まいに迎えられるために行うべき「賢さ」だったのです。

金持ちとラザロの境遇は逆転しています。しかし、もはやそれを覆す手立てはないのです。せめて、自分の兄弟に警告してほしいと願う金持ちの気持ちも却下されます。アブラハムは「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」と答えます。

「聞く」ことが悔い改めへの入り口

「聞く」ことが悔い改めへの入り口なのだというのです。聞くことがなければ、死者の中から生き返るものがあっても(奇跡)、その意味を悟ることはできないだろうというのです。

これは、今のわたしたちも同じです。天の国を垣間見ることはできないのです。神の言葉を聞くことです。「聞く」ことこそが救いと滅びの分岐点となります。若い職員の指摘に野崎さんが耳を貸したからこそ、職場環境の改善に取り組む動きとなっていったのでした。何も言葉に発することがなくても、仕草、振る舞いから伝わってくる「ことば」があります。

ラザロは何も言葉を発しませんでしたが、その姿は、金持ちに何を語っていたのでしょうか。その結果は、二人の死後の世界が教えてくれています。

日々を生きる中で、「聞く」とはどのようなことなのかを感じ取りたいですね。

 

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