「神への道標」
2018年説教の年間テーマ「神への道標」

年間第26主日(B年)の説教=マルコ9・38~43、45、47~48

2018年9月30日

何かにつけて耳目にする「改善策」だが・・・

「労働時間短縮した会社34%」。見出しの活字が目に入ります。(讀賣新聞大阪本社、2018年9月25日朝刊)ここ数年、何かにつけて「改善策」なる言葉が耳に、目につく報道が続いてきたような気がしますが、その割には、なにがどう改善されたのだろうか、具体的に見えてこないようです。単なる「話題」でおわっているのではないかとさえ、感じてしまいます。

数字としてデータを眺めれば改善されているのでしょうが、実感がわきません。「働く女性の増加や労働力人口の減少を背景に、働きかたが変わりつつある」との指摘がなされています。働いている人の景色が変わりつつあるのは確かでしょう。

政策に連続性、一体感を感じないのは何故?

労働政策研究・研修機構が約2,400社の回答を分析した調査(2015年)では、34%が過去3年間で年間総実労働時間を短縮していたそうです。その理由はと言いますと、「働きすぎの防止」「労働生産性の向上」「仕事と家庭の両立など時短は社会的な要請」が挙がっています。具体的な取り組みとしては「残業時間の短縮」「有給休暇取得率の引き上げ」が多かったといいます。

「人口減少社会対策」「少子化対策」「待機児童対策」「幼児教育無償化問題」等、かつて取り組んできた問題点の結果はどうなっているのでしょうか。わたしの勉強不足でしょう。すっきりと見えてきません。これらは、関連しあって、且つ、連続性があるテーマであろうと思えて仕方がありません。それが別々の問題となっていないでしょうか。

イエスは弟子たちの人間的特権意識を正した

ところで、今日の福音で感じることがあります。一つは、弟子たちの「人間っぽさ」です。一つは、「特権意識」です。あくまでも、イエスさまからみた弟子たちは、イエスさまが意図した働きをし、意識を持っていたのだろうかということです。やはり、本当のイエスさまを理解していなかったのではないかと思われます。

イエスさまが、十字架への道のりを進めようと弟子たちに話されたその直後に、「だれが一番偉いのか」と議論を始めたのです。これで、イエスさまの心は打ちのめされます。権力への野心がありありです。「救い主」としてのイエスさまの心と立場が、彼らにはまったく見えていなかったといえないでしょうか。何回となく同じような体験をしてきたのにもかかわらず、学び力が低いのでしょうか。

イエスが望む救いは、体面を超越した普遍的なもの

こうした心は、今日の福音に見ることができます。自分たちの仲間でない者たちが、イエスさまの名によって悪霊を追い出しているのを見ると、特権意識が騒ぎ立ち、自分たちこそが正当な権威をもっているという自負心が頭をもたげるのです。「わたしたちの仲間ではないので、やめさせようとしました」。即座に、弟子たちの誤りをイエスさまは指摘なさいます。「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方である」と。

イエスさまが望まれた救いは、派閥・特権意識や人間的な面子に左右されるものではないのです。一人ひとりがつくり上げた救いの枠にはめられるものでもありません。もっと普遍的なものです。さらに、人間的な自己満足が得られることに救いの本質があるのでもありません。大事なことは、相手の方が救われているかどうかです。つまり、他者を利用して、その人の救いの代わりに、自己の評判、地位を高めるという自己中心の心から解放されているかどうかです。

相手のために自分自身をかけられるかどうか

ひたすら、相手のために自分自身をかけられるかどうかでしょう。イエスさまがそうであったように。「キリストは神の子でありながら、神としてのあり方に固執しようとはせず、かえって自分をむなしくして、僕の身となり、人間と同じようになられました」(フィリピの人々への手紙2章6節~7節)

これは、イエスさまがいかにわたしたち一人ひとりを大切になさっているかの表れでもありました。このイエスさまの思いが、残念ながら弟子たちには伝わっていなかったようです。人間っぽさ、特権意識をまる出しにしていた弟子たちを見て、注意されたのでした。明らかに、弟子たちをも大事にしていたのです。「わたしを信じるこの小さな者の一人をつまずかせてはいけない」のです、と諭されます。

「改革」は制度より、先ずは心、意識の変革から

「改革」は、形も大事ですが、先ずは、心、意識の変革から始まるのではないでしょうか。先の、わたしたちの社会変革への対策も同じでしょう。社会制度をいじるのも結構ですが、いじる人の心はどうなんでしょう。大きな変革は、小さなことから始まります。一滴の水が集まって大海原となります。分かっていることですが、・・。

時をかけて、時を大事に「しもべ」になられたイエスさまについて行きましょう。真の救いを望む人の心もそこにあります。