『受難の主日』の聖書と説教はこちら

2018年/B年説教=神への道標

2018年/B年説教=神への道標

年間第15主日:宣教するとは、イエスの生き方を示し、語り継ぐこと

今日の福音から言えることは、「宣教する」とは「イエスさまご自身を伝えること、語ること」であり、イデオロギー、主義を語り継ぐことではない。イエスさまのそばにいることは、宣教のための最強の教育であったということができます。
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年間第14主日:イエスを受け入れ、歓迎するために必要なこととは?

国民栄誉賞の羽生選手の地元での大歓迎は、人々が羽生選手と共有できる何かを感じているからではないかという気がします。イエスさまも本当は、地元の人々に受け入れられたはずなのに、イエスさまとの心の共有ができなかったのです。それは、何なのでしょうか。
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年間第13主日:信仰とは?ヤイロは自己の無力感を通して神に出会った

「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうか、おいでになって娘の上に手を置いてやってください」とイエスにすがる会堂長。そこには、愛する娘の病を前に、なす術をなくした無力な父親の姿がありました。ヤイロは自己の無力感を通して神に出会っていったのです。
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洗礼者聖ヨハネの誕生:ヨハネは「前相撲」の大切さを伝えている

他者のために生きることが、とどのつまり、自分のためになっていくということをかみしめたいものです。いまの時代だからこそ、求められている生き方のような気がします。福音(平和のメッセージ)は黙っていても他者に伝わっていきません。
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年間第11主日:天国には皆が招かれている。しかし天国は場所ではない!

「神に似せて創られた」人間には、目に見えず、感じないながらも中に秘めた素晴らしいものがあるのです。大事なことは、それらの魅力が発揮されやすい環境にあるかどうかです。つまり、神の働きかけが功を奏しやすい状態にあるかということです。
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年間第10主日:イエスは「常識」を超えた世界へ、私たちを招いている

人であれば誰もが持っている「良識」を目覚めさせましょう。さらに「信仰心」を呼び覚ましましょう。すると、常識を超えた世界が展開され、そこが「信仰の世界」と呼ばれているのではないでしょうか。
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キリストの聖体:神のなさりかた、それは、自分を無にする。人のために!

人の世界では立場が人をより上に推し進めます。本人も役職を自覚して成長していきます。外見上も品ある姿に変貌していきます。ところが、イエスさまの場合は、みじめな姿に落とされていくのです。
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三位一体:神は自己啓示を続け、交わりに招いている。どう答えますか?

神は自己啓示を続けられます。教会を、ローマ教皇を通して、国のリーダーを経て、隣人を通して、家族・兄弟姉妹を通して、ご自分の交わりに呼び込んでいらっしゃいます。それに気づいて、さらに「イエス」というか「ノー」というのか、・・。
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聖霊降臨:聖霊は教会を生かし、いつも、一人ひとりに働きかけている

現代の教会をつくっている私たちも、弟子たち同様に、弱い存在です。私たち一人ひとりは、現に、誰かの助けをいただきながら生きています。聖霊に対して、開かれた心、救いを渇望する心を捧げ、祈り願いましょう。教会が、私たち一人ひとりが生きた救いのしるしとなれますように。
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主の昇天:イエスの救いの業の継承は弟子たちへ、そして、今の私たちへ

福音宣教することは、自分の人間的な信念やイデオロギーを伝え、広めることではない。あくまでも、イエスさまを伝えることであり、イエスさまに人々を出会わせることにあります。世界の人々は、嘆きの叫びをあげて救いの訪れ、福音を待っているのです。
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復活節第6主日:キリストが愛したように隣人を愛することはできないが…

わたしたちの日々のなすべき努力は、「わたしたちの弱さを助け、導いてくださる」聖霊を意識し、信頼していくことでしょう。「神に逃げる」ことは卑怯者や弱虫ではありません。人としての温かさを育むこと、豊かな心を抱くことです。
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復活節第5主日:イエスに繋がっていますか。留まり続けたいですか?

今日の福音の話は「わたしにつながっていなさい」というメッセージが重要な中味ではないかと思います。「つながっている」「とどまっている」というのは、お互いが身も心も任せきってしまうほどのかかわりでないと「安心」できないのではないでしょうか。
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復活節第4主日:善い牧者は、羊を、わたしたち人間を決して見放さない。

「善い牧者」の生き方は、イエスさまの人類に対する愛の確かさを示すものです。決して見放すことはなさいません。わたしたちがイエスさまを見放さない限り、一人ひとりを名指しで招かれます。
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復活節第3主日:復活は「教会」誕生の原点。落胆の弟子たちを激変させた!

弟子たちの変貌の大きな要因は?イエスさま主導による「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」くださったからです。復活の大きな意図は、落ち込んでいる弟子たちを勇気づけ、そして、復活の証人として派遣し、教会を誕生させることにあったといえるでしょう。
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復活節第2主日:復活は、人の感覚を超えた世界に気付かせる神の恵み

ものごとを見る視点が変わることで、本物にたどりつきます。現実の問題も同じでしょう。問題の根に気付きたいですね。人の育ちの問題はどこに根っこがあるのでしょうか。今こそ心の目を見開き、一人ひとりが新たな視点に出会っていきたいです
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復活の主日:イエスの復活は救いの保証。それはすべの人に開かれている

イエスさまの死と復活は、全人類のために、どのような差別もなしに、わたしたち一人ひとりをつつみこんでくださる神の温かい招きであり、わたしたちの救いの保証です。
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四旬節第5主日:「自分のいのちを憎む」とは?命の無限の価値に注目しよう

自分を中心とした心の動きを否定し、神中心の動きがある限り、周りへの影響力は増大します。他者にいかに踏み台にされたとしても、その人の命の尊さに、重さに傷はつきません。逆に、豊かな実をもたらします。
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四旬節第4主日:神に大事にされているからこそ、人を大事にする

世界のアスリートの皆さんも、困難を乗り越えるたびに、自分一人ではなく、多くの方々の支え、援助を感謝し讃えています。支えられているからこそ支えたい、愛されているからこそ愛したいのです。この喜びが互いの間に充満することを、そして、大地がこれを軸に回転していきますように願い祈りましょう。
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四旬節第3主日:イエスが教える生の源、神への愛に燃えているか自問を

「商売の家にしてはならない」ために、「わたし」をじっくりと見つめてみましょう。信仰者として「生きること」それ自体が「宣教する」ことではないでしょうか!礼拝の中でいただいた恵みと力に助けられ、信仰の分かち合いが、日常生活の中で実践されていきます。
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四旬節第2主日:イエスは沈黙を守る。その心は人の思いを超えたところに!

ペトロは、自分が思っているメシアとは真逆のイエスさまの姿を、しっかりと見るように促されています。私たちも、何かのとりこになっているとすれば、本来の姿へと呼び戻されたいです。それも、人間の思いを超えたものへと思いを馳せることができれば、・・