「神への道標」
2018年説教の年間テーマ「神への道標」

主の昇天(B年)の説教=ルカ16・15~20

2018年5月13日

この数年、気になる「人口減少問題」

毎日のテレビ、新聞、ラジオ等による報道を見たり聞いたりしますと、悲しい、がっかりする内容が割合として、嬉しい、楽しい内容よりも多いような印象を受けます。どうしてでしょう。事件、事象の取り上げ方によるのでしょうか。全ての人間が楽しくなったり、嬉しくなったりする内容の報道も、一人ひとりにとって、印象の濃淡があるのかもしれませんね。

その中で、わたしにとりまして、ここ数年気にしている問題があります。「人口減少」問題です。とにかく、町や村の名が消えていくというのです。町、集落そのものが成り立っていかないほどの人口になっていくのでしょう。人がいなくなるということは、即、家が空き家になることですし、広く言えば、集落として、町として存在できなくなるということです。

存続できなくなる市区町村が896も

「消滅可能性都市」「人口減8割で加速」という活字が躍っています。(讀賣新聞大阪本社、2018年5月4日朝刊)

民間の有識者らでつくる日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)が2014年5月、「40年に消滅する可能性がある」と指摘した全国896市区町村があります。それらの地区は、人口減で行政機能を維持できなくなる可能性があるのです。東京など大都市圏への人口移動が続くと仮定し、出産の中心世代となる若年女性(20~30歳代)が2010年~40年の間に5割以下になると試算した地区に該当します。

今年公表された地域別将来推計人口の分析で、雇用創出や子育て支援などの政策を政府が進めているにもかかわらず、状況の悪化が明らかになりました。小規模自治体の消滅が現実味を帯び始めており、その対策は待ったなしとなっています。

当面の対策は、垣根を越えた連携で

そこで政府が考えている当面の方策は、自治体の垣根を越えた行政サービス「連携中枢都市圏」の形成を推し進めることです。近隣自治体で行政サービスを役割分担するものです。とはいっても、財政力の違いからくる意識のずれが、互いの連携の機運にブレーキをかけてしまっている気がしないでもありません。大規模な自治体に吸収されてしまうのではないかという心配が先走り、自治体の心理的な「壁」が大きく立ちふさがります。

「自治体廃止」が現実味を帯びてきますと、その地域に生活している人々にとっては、生きることを諦めなさい、といわれているみたいで、やるせない気持ちになります。心理的に追い詰められてしまいます。官民一体となって事に当たるとはいっても、所詮、「絶対的」な救いの手立てが保証されるわけではないでしょう。とはいっても、諦めるわけにもまいりません。悩みつつ、打開策を模索していくのが現状でしょうか。でも、この先が開けてほしいですね。

イエスは使命を弟子たちに託された

イエスさまの宣教活動が終局を迎えます。「自治体廃止」の終局とは違いますが、弟子たちにとって、イエスさまと共に活動してきた一つの大事業が終わるのです。弟子たちは不安を抱えてしまいます。その先が見えません。しかし、イエスさまはこのための引継ぎを3年間にわたって果たしてきたのです。が、イエスさまの意志は弟子たちに伝わっていなかったのです。それでも、「全世界にいき、すべての創られたものに福音を宣べ伝えなさい」という使命を、弟子たちに課します。

つまり、それまでイエスさまご自身がなさって来た「宣教活動」を弟子たちに託すのです。イエスさまの活動は、自ら語り、人々の労苦を慰め癒やすことでした。そして、人々を元気づけ、心の闇を照らし、導かれたのです。この重責を弟子たちが背負うことになるのです。

イエスさまの活動がすべての人々に開かれていたように、不信仰な人々、闇に覆われている人、汚れた人たちを軽蔑し、エリート階級にどっぷりとつかっていてはいけないのです。イエスさまの現実はそうではなかったはずです。社会で軽蔑されていた人に近づき、落伍者に自ら進んで近寄り、彼らの汚れと恥をつつみこんでいかれたのでした。

福音宣教とはイエスを伝えること

また、福音宣教するとは、自分の人間的な信念やイデオロギーを伝え、広めることではないはずです。あくまでも、イエスさまを伝えることであり、イエスさまに人々を出会わせることにあります。世界の人々は、嘆きの叫びをあげて救いの訪れ、福音を待っているのです。

その救いの出会いの場としての教会は、責任があります。わたしたちはその仲介者の一人になっているでしょうか。人々の悩み、苦しみに寄り添っているのでしょうか。わたしたちの業を支え、後押ししてくれる聖霊の働きに気付いているでしょうか。イエスさまが共に働いてくれていることに目覚めているでしょうか。

人口は減っても、救いを求める人の減少はありません。イエスさま直接の宣教活動は終わっても、救いの業の継承はいつまでも、・・。