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四旬節第4主日:神に大事にされているからこそ、人を大事にする

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「神への道標」

2018年説教の年間テーマ「神への道標」

四旬節第4主日(B年)の説教=ヨハネ3・14~21

2018年3月11日

オリンピック選手のことばを読み解くと

平昌オリンピックが閉会しました。大会には冬季五輪史上最多の92か国・地域から約2,900人の選手が参加し、7競技102種目で熱戦が繰り広げられました。(讀賣新聞大阪本社、2018年2月26日朝刊) 世界の祭典と言えます。124人の日本選手団は、金4、銀5、銅4の計13個のメダルを獲得しました。

参加した選手たちのことばによって大会を振り返ってみる紙面がありました。
「すごくほっとした。金メダルには届かなかったので、器はまだまだかな」。表彰台を逃して悔し涙に終わったソチ五輪から4年。今回は嬉し涙を流した高梨沙羅選手。「失敗する気がしなかった」。日本に大会第一号のメダルをもたらしたモーグル界の新星原大智選手。圧巻の演技で66年ぶりとなる2大会連続の金メダルに輝いた羽生結弦選手は「頑張ってくれた右足に感謝したい」と語っていました。

「自分を信じて」壁に挑戦するとは言え・・・

多くの他の選手たちも、それぞれに苦労、ある種の壁を抱え、それらに挑戦してきたうえでの参加でした。それだけに、準備もできうる限りの可能性に挑み、整えてきた姿を感じます。「自分を信じて」「もっと自信をもって」前に進んできたのではないでしょうか。だからこそいえる言葉もあります。「あと一歩届かないのが自分の実力。本当に悔しい」とは、ビッグエアーで4位の岩渕麗楽選手です。1メートル49の小柄な女子高生はダイナミックな空中技で観客を沸かしてくれました。

自らの努力で心身の力を向上させることは、確かに可能であると思います。しかし、どうしてもある程度は向上しても、どうにもならに事態に陥ってしまうことだってあります。

特に、精神的にどん底に陥ってしまいますと、心、気持ちの整理を、どのようにつければいいのか迷ってしまう経験をお持ちの方はたくさんいらっしゃることでしょう。何も、アスリートだけではなく、普通に生活している一般人にもありうる話です。今まで頼みの綱であった自力で、どうにかなるという自負心とおごりが、何の役にも立たなくなってしまうのです。

ファリサイ派は自力での救いを信じていた

そうだとどこかで感じながらも、それにこだわり続けていたグループが、イエスさまの時代のファリザイ派でした。みなさんもよくご存じの通り、ファリザイ派の人々というのは、当時のユダヤ社会の律法の指導者です。律法を文字通り実践することが、聖なる神に近づく道だという信念を持っていました。したがって、律法を守らない人を罪びとと決めつけていたのです。つまり、自力で救いを獲得できるという自信に満ちあふれていました。今のわたしたちも陥りやすい過ちです。自力で救いを勝ち取ることができると思わないまでも、規則を守らない人に偏見を抱いてしまったりしがちになります。

イエスは人の努力を要求してはいるが・・・

しかし、福音がわたしたちの努力を要求していることも事実でしょう。わたしたちの心深くに根付いているエゴイズムと闘い、イエスさまが生きられたように、「心をつくし、魂をつくし、力をつくして」愛する純粋さが求められているのは本当ではないでしょうか。これを成し遂げるために大事なことは、わたしたちの自力では到底できないということなのです。それは、神の恵みを前提としているのだということをイエスさまはニコデモに示そうとなさっています。今日の福音に登場するニコデモはファリサイ派に属する人でした。イエスさまが意図したことが彼に伝わったかどうか。

人の努力も、神の恵みが前提である

現実的に、わたしたちが「愛する」という時、その人に「愛されている」ということが、自分に実感されていないでしょうか。誰にでもあったであろうあの青春時代の胸騒ぎは、まさに、この関係を物語っているのではないかと思います。心から安心しています。ドキドキしていても、生き生きとしています。希望が芽生えてきます。辛いと感じることが、二人の間にはないのです。そして、前に進めるのです。人として成長を遂げていきます。「愛されている」ということを前提にしたとき、弱さが強さに変えられていきます。誰でもが一度は経験しているのではないかと思うのです。

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今日のイエスさまが説かれる愛の「相手」は神です。恵みの源泉は、「神に愛されている」ことに始まります。わたしたちの平和と希望と逞しさの源です。イエスさまの弟子たちは、このことを体感していたからこそ、宣教活動に奔走することができました。そして、今のわたしたちはその恩典に与っています。

世界のアスリートの皆さんも、困難を乗り越えるたびに、自分一人ではなく、多くの方々の支え、援助を感謝し讃えています。支えられているからこそ支えたい、愛されているからこそ愛したいのです。この喜びが互いの間に充満することを、そして、大地がこれを軸に回転していきますように願い祈りましょう。

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