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四旬節第4主日:何のために働くのか、その根源的意義を問い直してみたい

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四旬節第4主日(C年)の説教

2022年(C年)説教の年間テーマ=「弱き者を救う神」

四旬節第4主日(C年)の説教=ルカ15・1~3、11~32

2022年3月27日

「大変、大変って言うけれど、一生懸命やってる仕事なら大変でない仕事なんてないでしょう?」ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」(高畑勲監督・脚本)の中で、山形の農業青年トシオが言うセリフです。こう言った彼の背景には何があるのでしょう。(讀賣新聞西部本社2022年日朝刊)

2021年度 将来なりたい職業ランキング

一方、第一生命保険が16日、将来なりたい職業の2021年度のランキングを発表しています。それによりますと小・中・高とも「会社員」に人気があるという結果が出ています。(南日本新聞2022年3月17日朝刊)

因みに、小学生女子の1位が「パティシエ」だったほかは、男子の小・中・高生、女子の中・高生でいずれも「会社員」が1位となっています。このランキングをまとめ、発表した第一生命保険は、コロナ感染拡大の結果、在宅勤務が浸透してきたこと、それにより、働く場所を選ばなくなったことを踏まえ、「子どもたちは働きやすさを求めて会社員になりたいと思っている」と分析しています。

また、他の職種を見ますと、小・中・高ともに、コンピューターとインターネットの普及により、IT分野への関心が高いことを示しています。特に男子の職種では、ユーチュウーバー、ITエンジニア・プログラマーなどが上位3位内に入っています。男女で共通に言えることは、かつてから「なりたい仕事」の上位にランクされてきた、公務員、看護師、幼稚園の先生等も順調に上位にランクされています。

生涯をかける気構えを感じないのだが…

こうした情報を見て思うのは、この情報だけでは不十分とはいえ、生涯かけて打ち込もうとする仕事を選択する動機づけにしては、あまりにも「刹那的」では、・・と感じてしまいます。現に、わたしの身近なところでもよく聞く話です。そのうちに、都合が悪くなったら転職すればいい、と思っている人が多いのです。今時の普通の傾向なんでしょうか。

働くことが人間の地上の生存にとって基本的なことであるという確信の源泉を、教会は、創世記のごく最初に見出します。

「神は言われた。 『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』神は御自分にかたどって人を創造された。 神にかたどって創造された。 男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。 『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』神は言われた。 『見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。』 そのようになった。」(創世記1章26節~30節)と。

これらの言葉が直接に、明白に働くことに触れてはいませんが、少しの疑いもなく、人間の世界の中で繰り広げる活動として、間接に働くことを指していることが分かります。

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今日の福音書は、有名な放蕩息子のたとえ話です。この話を読んでいて、どうしても弟の方が得しているよな、と思われる人がいるのではないでしょうか。結局、最後は元のさやに納まってしまうのだから・・。

聖書のことばに働くことの意義を探ると

ところで、旅に出た弟は、日を重ねるにつれてさまざまな体験をしていきます。自分の家にいては、到底あり得ない体験です。そのことは、彼自身、自分をよく知る機会ともなっていったのでした。

なんといっても、自分の中にある欲望です。自らも抑制できないほどの「欲」の衝動を感じてしまいます。この事は今のわたしたちにも同じく言えることではないでしょうか。自分のうちにある欲望、しかも、それが良心に反するようなものであればあるだけ、その力の大きさ、強さを感じてしまうのです。そして苦しむのです。もがくのです。でも、そうすることができればまだいい方です。その抵抗する力もなく、ズルズルと引きずり回されてしまうことが多いのです。自分の心に分裂が生じます。そして気づいた時には、人生のどん底にいる自分に気づかされてしまうのです。

気づけばまだいい方でしょう。よしんば、立ち直ったとしても、瞬く間に、その努力を一瞬のうちに無に帰してしまうほどの「欲」に、引きずり回されている自分を発見してしまうのです。いつの間にか、元の木阿弥と化してしまっています。いや、「元」以下です。

こうして弟は、財産も名誉も、さらには人間としての品位も失うほどの窮地に立たされてしまいます。挙句の果てに、豚とともに暮らすほどの屈辱的な生活をせざるを得なくなってしまいます。それも生きるためです。

そうです。弟は、生きることの大変さを身に沁みて体験することになりました。つまりは、生活の糧を得ることです。そのための労働です。そのために、当時としては、闇の仕事(豚飼い)に手を出してしまうほどに、落ちこぼれてしまったのです。自分の限界に達し、気づかされます。同時に、これまでの父親のやさしさ、配慮の深さに目が覚めるのです。

放蕩息子のたとえ話から学ぶべきことは

やっと、弟は自分以外の人に心が開かれていきます。そして、父のもとに戻ろうと決心します。公務員、幼稚園の先生等、どの仕事にしても、基本的には「他者」に開かれた業務、仕事です。その根底にあるのは「奉仕する」ことでしょう。そして、その実りは必ず自らに戻ってきます。「働くこと」とは、本質的にそのような性質のものです。だからこそ、長く続ける価値があるのです。

「奉仕」の中身は、時代の流れの中で変わっていくのでしょうが、その心はいつも同じでありたいと思います。一生懸命にやっている仕事だからです。だからこそ、長い間奉仕ができるのです。

今日の福音書の話はその後、どう展開されていったかは記されていませんが、想像するに、弟は、父親とも兄とも真っ当な交わりを作り上げ、大いに人生を、楽しく謳歌したとむすばれていくのではないでしょうか。

わたしたちも最後は、父なる神との親しい、温かい交わりを作り上げます。一生懸命だから、・・・できる!

 

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