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年間第17主日:定かでない何かを求めている人は、周りにたくさんいる

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2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

【神のふところは限りなく大きい】

年間第17主日(A年)の説教=マタイ13・44~52

2017年7月30日

「心に愛がなければどんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」「暗いと不平を言うよりも すすんであかりをつけましょう」という言葉は、どこかで聞いたことがあるな、と思われる方が多いのではないでしょうか。

「心のともしび運動」をご存知でしょうか?

そうです。「心のともしび運動」の標語となっています。はじめの「心に愛が・・」はラジオ放送番組の冒頭に出てまいります。パウロのコリントの教会への第一の手紙13章1節の言葉を、田中澄江さんに、わかりやすい表現にしてくださいと依頼してできたものです。

種々のマスコミを使っての宣教活動

「暗いと不平を・・」の言葉は、アメリカの修道会の活動組織「クリストファームーブメント」が作った英語の標語が元になっています。“It is better to light a candle than to curse the darkness.” クリストファームーブメントの活動も、種々のマスコミを使っての宣教活動でした。

日本では65年前にハヤット神父が創設

みなさまもよくご存じのとおり、日本における「心のともしび運動」の起こりは、今から65年前の1952年に遡ります。この年の「善き牧者の主日」に、創設者のハヤット神父は「聖職者だけではなく、すべての信者もできるだけ祈りと犠牲、そして、行いによって少しでも多くの人びとを教会へ案内するよう努めなければならない」と話し、その日、小さなリーフレットを作って信者たちに渡し、友達に配るように頼んだのでした。この活動を「善き牧者運動」と名付けたのです。これが、現在の「心のともしび運動」の始まりでした。

マスコミの「判断基準」は何なのでしょうか?

今の時代、どこにおいてもそうでしょうが、マスコミの力には大きいものがあります。しかも、素人でもその輪の中に参画することができます。したがって、いろいろな情報が乱れ飛んでしまいます。どれが真実で、何を選べばいいのか迷ってしまいます。新しい言葉、表現、方法等、目まぐるしく変化していきます。それにつれて、安定した重々しさが感じられなくなってしまいます。はたして柱となって、判断の基準となるものは何なんでしょうか。

情報の送り手には、高い志と技術が要求される

一般に、マスコミとは、新聞、ラジオ、テレビ、週刊誌、映画などのマスメディア通じて、不特定の大衆に大量の情報を伝達することを言います。「情報伝達」ですから、送り手がいるわけです。

少しかしこまった言い方をいたしますと、私流ですが、マスコミとは、民主主義の自由な要素の一つである「言論の自由」「知る権利」の保障を実現する主体とみることができるのではないでしょうか。したがって、理想と現実の生活を両立させるために極めて高い志と高度な技術が必要になってきます。

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今日の福音で、土地を掘る人、真珠を探す人が登場します。いずれにも共通して言えることは、見えない宝、見つかっていない高価な真珠を求めているということです。つまり、自分さえも「見えていないもの」、分かっていない何かに飢えているのではないか、とイエスさまはおっしゃりたいようです。

隠されている「何か」とは神への飢え渇き

何故って、「天の国」のたとえ話です。なにか期待感はあっても、どのようなものなのか誰にも分かっていないのです。この二人の者は、何があるのか定かではないのに何かを求めていることだけは確かです。自らも分かっていないのでしょう。この定かでない、隠されている「何か」とは、絶対的な安心感を抱きうる神に向けられている飢え渇きではないでしょうか、とイエスさまはおっしゃりたいのでしょう。

現代社会でも同じようなことはたくさんあります。「労苦する者、重荷を負うものはわたしのもとにきなさい」と言う方がいるのに、誰も助けてくれないといって愚痴ってばかりいるのです。罪をゆるす方がいるのに、自分の犯した罪の深さに押しつぶされてしまっているのです。

「イエス宣教」に種々の手段で力を入れよう

すなわち、イエスさまとの出会いがなされていない善意にあふれた人がいかに多いことか。わたしたちの周りに、そのようなたくさんの方を見ています。わたしたち信者にその責任はないのでしょうか、・・。イエスさまを伝達しているでしょうか。

マスコミを使い、口コミを通して、尊い志と高い技術を兼ね備えて、イエスさまを伝えていきたいです。「イエス宣教」にもっと関心を傾け、自らにいただいている能力をどう生かしていけるか、自らに問うてみたいです。「土地を掘り、高貴な真珠を探している人」を見かけたら、そっと背後から声を掛けてあげられるといいですね。そこには必ずイエスさまが共にいらっしゃいますよ。

【注】心のともしびに関する記述は、「心のともしび運動」YBU本部出版、2002年を参考に記述しています。

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