『復活節第4主日』の聖書と説教はこちら

2017年/A年説教=神のふところ

2017年/A年説教=神のふところ

年間第8主日:思い煩いは恵みの浪費!天の父への信頼を深めることが大事

誰にでも、どのような資産家、立派な地位にある人にも、背負いきれない、自分の力を超える現実があます。どうしようもない人間の限界です。だから、イエスさまの招きがあります。「天の父は、あなたたちにそれらがみな必要なことを知っておられる」のですから、天のおん父への信頼をより深めましょう。
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年間第7主日:絶対的平和の基盤は、悪人にも善人にも太陽を昇らせる「おん父」の心

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15・13)生き方が、イエスさまが大切にしていたものでした。その源泉は「おん父の心」です。イエスさまのこの生き方があるからこそ、不十分な「わたし」でも、平和実現の担い手になることができます。
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年間第6主日:「平和」実現のために新たな挑戦を!律法の完成の意味はそこにある

イエスさまの言葉の奥にあるものは、難しくても、そこに向かって進んでみましょう、と言われます。でないと、「地上の平和」への道が閉ざされます、と。「平和」実現のために挑戦しなさいと強力に勧めておられます。
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年間第5主日:地の塩、世の光となるためには、罪に汚れた自分を素直に認めることから

大事なことは、自己卑下することではなく、罪に汚れた人間のありのままの姿をしっかりと見ることでしょう。それは、自分のエゴイズムとそこからくる欲望の強さが、自分と世の闇を深くしている現実に気付くことでしょう。自分を変えることができるのは、神からの働きかけだけであることに目覚めることではないでしょうか。
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年間第4主日:困難の中でも勇気ある決断を!イエスの招きは心を神に向けて生きること

イエスさまは「自分の貧しさを知る人は幸いである」と言われます。自分の力で得ることができるこの世の富ではなく、祈りによって神から与えられる恵みだけが人を幸せにすることができる、と言われます。大きな状況の転換です。それだけに、勇気ある自己決断が求められてきます。
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年間第3主日:イエスさま流とは?より貧しいところ、皆から見放されたところに行こうとする神の姿勢

ガリラヤに行かれたということは、より貧しいところ、皆から見放されたところに行こうとする神のなさり方が満ち溢れています。これがおん父から遣わされた「イエスさま流」なのです。イエスさま流は、無駄のない、美しい、現実的なありかたなのに、イエスさま流の原型を壊してしまい、人間流にすり替えてしまっていくのがわたしたちです。
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年間第2主日:本当の救いを求めて燃えていることを目指しましょう。

洗礼者ヨハネの弟子たちにとって、イエスさまとの出会いは恵みでした。それは、ヨハネとの出会いの時に決定づけられていたということができるでしょう。つまり、ヨハネが持っていた神への情熱にふれたときに、彼らはすでに、イエスさまへ方向づけられていたといえるのではないでしょうか。
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待降節第4主日:キリスト誕生はもうすぐ!神との身近な出会いを見つけましょう。

旧約時代の義人は聖なる神の前では畏れおののきます。その義人ヨセフが、子どもが急に何かに目覚めたような成長をするように、目覚め、神のあわれみ、愛が具体的にあらわれる瞬間(イエス誕生)に立ち会うことになります。
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神の母聖マリア:親子のかかわりを振り返り、「安心感」を提供しあえる家族を目指したい

この一年を、神の母マリアの執り成しと保護に委ねようという思いを強くしてスタートしたいものです。母としてのマリアさまの姿は、多くを語らず、お告げの時に、すでに受け入れていた「未知の歩み」にとても配慮なさっているように思えます。
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主の公現:人はゆるされることによって心身の健康を知り、健康な状態を維持していく

東方からの賢者たちは、何にも邪魔されない絶対的な安らぎを幼子イエスに感じ取っていたのではないでしょうか。周囲をはばかることなく、しかも、それまでの自分たちの仕事道具までもすべて奉献する行動に出ています。「安心した心」の状態を示している証でもあります。
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待降節第3主日:主の訪れ(キリスト誕生)は、何事にも代えがたい究極の「喜び」です

「主にあってよろこべ」とは、その喜びは絶えることがないからパウロは叫び続けるのです。神の訪れをまことの喜びにできていますか。共に、そう叫び続けられるようでありたいですね。
2017年/A年説教=神のふところ

待降節第2主日:洗礼者ヨハネの宣教は、今の時代に合った信仰の土台を築くよう促しています

通常「待つ」ということは、何もしないで待つのではなく、期待しながら、ワクワク感をもって待つことが多いのではないでしょうか。だから待てるのです。「天の国が近づいた」とヨハネは叫びます。つまり「救い主が来られる」と言われ続けながらも、なかなか実現しない歴史を体験してきたイスラエルの人びと。しかし、それでも彼らは絶望しないのです。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第22主日:日常の小さな行いの積み重ねがイエスの十字架に繋がる

わたしたちの日常の小さな愛の行いの積み重ねが、イエスの十字架につながっています。大きいことはできなくても、積み木のように一つひとつ重ねていきたいもの。現代では、この「小さなこと」が見過ごされているのではないでしょうか。