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年間第17主日:イエスを知らない人への、キリスト者の奉仕の中身は・・

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年間第17主日(A年)の説教

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

年間第17主日(A年)の説教=マタイ13・44~52

2020年7月26日

「ブーム」を作っているのは誰だろう

世の中には、だれが作り出すのかわかりませんが、「○○ブーム」と呼ばれるものが、その流行がその時の人々の雰囲気を、気持ちをその方向にもっていきます。そして、社会全体も、なんとなくそうしたものなんだということで動いていきます。というより、動かされているといったほうが、・・。その中心にはオピニオンリーダーがいます。かなり影響力のある人、世論形成者ないしは世論先導者とでもいえる人なのでしょう。

毎年のこと、発表される新型モデルの車、髪型、服飾品のファッション、その他家電製品等、人々はそのペースに乗っけられます。というよりも、それらの中から選択するしか道がないのが現実と言えます。裏を返せば、人は絶えず変化を求めているのだと言えるでしょう。そのきっかけを作っているだけの話なのでしょうか。

今は、その変化のきっかけの事実上の主が、新型コロナウイルスに取って代わられているといえます。今や、コロナを無視して、事を進めていくことができないからです。

今はコロナが世の中を動かしている!

「『空気の質』アピール」「給付金、在宅勤務追い風」と活字が目につきます。(南日本新聞2020年7月18日朝刊)

家庭用エアコン商戦が本格化しているそうです。新型コロナウイルスの流行で客足が遠のき、春先は販売が振るわなかったのが、気温の上昇も手伝って足元の需要は旺盛のようです。メーカー各社は「空気の質」にこだわった性能をアピールして顧客の取り込みを狙っています。

「今年は空気を清潔にできるタイプのエアコンが人気ですよ」。7月中旬、大阪・ミナミのエディオンなんば本店の売り場では、壁一面に並んだエアコンの前で販売員の男性が熱のこもった商品の説明に励んでいました。

新型コロナウイルスの感染拡大により、再認識させられたことの一つに、「エアコンは空気の入れ替えができていない」ということだったのではないでしょうか。冷たい風は外からの空気を冷やして部屋に取り込んでいると勘違いしていた人が多かったのでは。ただ、室内の空気の循環を行なっていただけなんですね。そこで、新たに開発されたのが「空気を清潔にできる」タイプのエアコンでした。関係業者は、前年度よりその出荷台数が増えると見込んでいるようです。

新型コロナウイルス感染拡大を契機に、どうしても購入しておきたい必需品になっていくのかもしれません。

隠された宝とそれを見つけた人の2例

きょうの福音書には、内容的には全く同じ二つのたとえ話が並びおかれています。それぞれ、隠されているものを捜す人がおり、見つけたら大喜びし、どうにかして自分のものにしようとしています。そこに何があるのかわかりません。しかし、発見したものを見て、そのものに飢えていたかのように、何が何でも、それを自分のものにしようと一生懸命になって獲得しようとします。

https://8263.jp/seisyo/1676.html/

イエスは、これらの話を通して何をわたしたちに訴えたいのでしょうか。

探しているものを見つけたら嬉しい

みなさんは日常、何かを求めて探しまわることってありませんか。わたしは豆腐が好きなものですから、かつて、気に入った豆腐を求めて探しまわったことがあります。何軒か見て回って探し当てた時の嬉しさはたまりませんでしたね。転勤で場所が変わると新たに見つけて回るものでした。豆腐ごときで何をじたばたするの、と言われそうですが、何だか安堵感を覚えるんですね。今ではそこまでこだわっているわけではありません。なければ代用品で済ませます。とはいっても、どうせいただくのであればおいしいものがいいに決まっています。

豆腐の話とは次元が違いますが、確かに、わたしたちの周りには何かに飢えて必死に探しまわっておられる方がいらっしゃいます。数えきれないほどの善意にあふれた方々です。また、耐え難い苦しみの中にあっても、その場を超えようとして、その環境から脱出しようとして前を向いて生きておられる方もいます。大きな希望のうちに立ち上がりたいと願っているのです。その心身の動きそのものが、まさに、祈っている姿と言えます。その祈りが、実は、神に向かっているとは知らないのです。

イエスを人々に気づいてもらうには

つまり、イエスも神も、こうした人々には隠されているのでしょう。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」(マタイ11章28節)と宣言される方がいらっしゃるにもかかわらず、だれも自分に力をかしてくれないと嘆き苦しんでいるのです。「あなたの罪はゆるされた」(ルカ5章20節)とイエスが言われるのに、その罪がどんなに深いものであっても、それをゆるすことのできる方がいるのに、自分の犯した罪の深さに覆われてしまう人がいるのです。

イエスは、すべての人の求めることに、願うことにこたえることのできる力と愛を持ち合わせているので、わたしたち人間はそのことに「気づくこと」だけでいいのです。気づいた後は、それにしがみつき放さないことです。ほどそれほどに、その人の人生に決定的な意味を持つことになるからです。それが「信仰する」ということではないでしょうか。

イエスが、我が人生に決定的な変化を持つものであることに気づけば、なにがなんでも放しはしないでしょう。人が変化を求めているのであれば、イエスがその中心にいます。多くの方に気づいてもらうために、イエスを伝えるわたしたちキリスト者の奉仕と責任はどこにあるのでしょう。そして、その中身は、・・。

日々、実感していきたいですね。単に「○○ブーム」で終わらせないために。

 

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