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復活節第5主日:日常の出来事に神の恵みを感じるのはどのようなとき?

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

復活節第5主日(A年)の説教=ヨハネ14・1~12

2020年5月10日

新型コロナ感染情報に関して、その報道が絶えることがありません。テレビ、新聞等、メディアにおいて、あらゆる手を尽くして情報の提供を駆使しているさまが見られます。

新型コロナで世界中が試練を受けている

我慢の生活があと一か月続くことになりました。(讀賣新聞西部本社、2020年5月5日朝刊) 全都道府県を対象とした緊急事態宣言を5月31日まで延長するとの発表です。

何も日本だけの問題ではなく、地球規模で全人類が試練に立たされています。各国の人がともに苦しむグローバルな側面と、国ごとに対応や被害が異なるローカルな側面を併せ持つ事態を、あらためて見つめる契機となりそうです。

長期にわたる感染状況の中で、今まで意識されてこなかった、その実、ありがたい現実に気づかされ始めたのではないかという気がします。世界的に報道されたイタリア・ミラノの高校の校長を務めるドメニコ・スキラーチェさんは言います。

「わたしたちの学校は2月24日に閉鎖となり、3月9日からの授業は原則的にオンラインで行っています。eラーニングにはさまざまな制限がありますが、学校に見捨てられていないこと、大人の社会に見捨てられているわけではないことを、子どもたちにわかってもらえる手助けになります。‥‥…人間は弱い生き物であり、自然と調和しながら生きることを教えてくれました」

そして、生徒たちへの手紙の一節にもあります。

「このような危険な事態がもたらす別の大きな危険は(中略)社会生活や人間関係が毒され、人間らしい行いができなくなることです」(同上紙)

その一つが、「ソーシャルディスタンス」でしょうか。日常において、一人になりたい時があるとはいっても、敢えて離れないといけないとなると、苦痛を覚えます。

試練の中、イエスの呼びかけを感じたい

それにしても、人は苦しみの真っただ中にいる時、どのようなことを期待しているのでしょうか。その苦しみの中身にもよるのでしょうが、どのような解放を願っているのでしょうか。今まさに、わたしたちが体験していることです。わたしたちが共通して願っていることは、ウイルスの絶滅そのことでしょう。しかし、その現実にたどりつくまでには、国、地域によって対応の仕方が異なり、それぞれに忍耐が求められます。

中でも、医療従事者のご苦労は並大抵ではないはずです。彼らへの感謝のメッセージ等も紹介されるようになってきました。苦しみの中におけるちょっとした励ましのメッセージ、言葉、振る舞い等、それらが心の支えとなり、前に進める原動力となっていきます。それが、今の試練を乗り越え、より充実した豊かな日々を重ねていける、さらなる力となってくれることを願ってやみません。いろいろな形での支援がなされているようです。

今日の福音書では、今の新型コロナの試練の中にいるわたしたち一人ひとりに、イエスからの呼びかけ、さらなる招きがあるように感じます。

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最後の晩餐の席です。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と、弟子たちへの別れの言葉を述べられます。イエスにとって、この世から父のもとへ移る時が近づいてきたからでした。それは、ご自分に託された業を完成させる時でもあったのです。

イエスの招きは人間の常識を超えた所に

長い間イエスとともに行動を共にしてきた弟子たちは、イエスから特別な教育を受けてきたということができます。しかし、イエスの十字架を前にして、それは、弟子たちには理解しがたい、しかも、人間的に見れば挫折としか受け取れない出来事に過ぎないのです。その上、イエスには、弟子たちが戸惑い、イエスを否定して逃げ去ることも分かっていながら、励ましの言葉をもって招かれるのです。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」と。

弟子たちはそれまで、イエスにべったり寄りかかり、安心しきって身を任せていたのでした。しかし、その安心が揺らぎ始めたのです。つまり、それまでのイエスに対する思いは希薄で、人間的なレベルの「信仰」で終わっていたのです。イエスの十字架によって、この事が露呈しました。イエスの招きは、その信仰が本物の信仰になるようにという招きだったのです。仮に動揺し、躓くことがあったとしても、もっとその深みを見つめるようにとの呼びかけです。別の言い方をすれば、「人間の常識」を超えたところに「イエスの常識」があるのだということです。

人間の力ではなく「神の恵み」に信頼を

弟子たちがイエスの招きに応えられるようになったのは、復活を経て聖霊降臨の恵みを通してでした。つまり、本物の信仰、ゆるぎない信仰は、人間の力によって得られるのではなく神の恵みであり、聖霊の働きによるものであるということです。

今に生きているわたしたちにとって、日常の出来事に神の恵みを感じる時ってどのようなときなんでしょう。その人にしかわかりません。今まで当りまえのこととして済ましてきた、過ごしてきたことが、コロナの感染拡大防止対策を講じる中で、こんなにありがたいことだったのかと分かるようになった、気づかされたことは、そのこと自体が神の恵みなのではないでしょうか。この事実に素直になっているでしょうか?

その「気づき」が広がっていく中で、安心、安全が寄り戻されるのではないかと、一人ひとりに呼びかけられているように感じます。お互い、心のやさしさ、穏やかさをもっと前面に出して前に進みたいですね。

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