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待降節第3主日:便利な生活の中でも、信仰者としての自分を確立したい

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

待降節第3主日(A年)の説教=マタイ11・2~11

2019年12月15日

いつものように朝の新聞を読もうとして手にしますと、「この公園には滑り台をする」という見出しが目に入りました。その下に、もっと大きめの字体で「文章作れぬ若者」という見出しが続きます。(讀賣新聞大阪本社、2019年12月5日朝刊)

日本の若者の読解力低下が浮き彫りに

3日に公表された経済協力機構(OECD) による国際的な学力調査で、日本の若者の読解力低下が浮き彫りになりました。加盟国を含む79ヵ国・地域の15歳を対象に2018年実施の学習到達度調査(PISA)の結果が公表されたのです。日本の高校1年生の読解力は15位で、8位だった2015年の前回調査から低下したことになります。(京都新聞、2019年12月4日朝刊)

大手予備校の現代文講師、小池陽滋さん(44歳)は、ある受験生から出された要約文を読んで、「またか」とため息が出る思いだったといいます。「主語・述語が不明確で、意味が通じない」文章が特に目に付くそうです。また、原稿用紙2枚分、計800字の作文を、すべて「」でつなげ、一文で書いてきた高校生がいたということです。

さらに、武蔵野大(東京)の藤本かおる准教授(51歳、日本語教育)も、学生の文章の乱れを感じている一人です。最近提出された卒業論文です。「なぜこのような考え方が現実性を持ちやすいのかを、解明が進んでいる」と書かれています。文章の構成も分かりにくく、「いらない助詞を足す学生が本当に多い。前後のつながりを考えていない」と指摘しています。

識者の指摘「原因の一つはSNSの普及」

どうしてなのかを問いますと、お二人共に、「原因」の一つにSNS の普及があると考えています。単語や略語だけの気軽な話し言葉、スタンプ(イラスト)を使えば、感情を言葉にする必要もない世界に、今の若者はその身を置いているのです。

また、「日本語品質コンサルタント」として企業で文書の書き方などを教えている磯崎博史さん(57歳)はその思いをおっしゃいます。「SNSを通じて、ぱっと書いてぱっと送る習慣がついてしまった。推敲して文章の質を高める努力をしなくなったため、書けない、読めない人が増えた」と。

SNSでは文章抜きでも意思疎通可能

とにかく、SNSの普及により、いちいち正確な言葉を使わなくても、単語やイラストのやりとりでコミュニケーションがとれるようになりました。その便利さの陰で、言葉の使い方をめぐる若者たちの「異変」が、じわりじわりと広がっていることは確かです。

といってしまいますと、然も若者が「悪者」みたいな言い方に聞こえてしまいますが、そう結論付けるわけにはいかないでしょう。こうした現実社会になってしまったのはどうしてなのか、そうなる必要があったからでしょう。そうすることが望まれる社会環境になってきたといえます。大事なことは人間の恣意に流されないことではないでしょうか。よ~く分かっていることですが、・・。

発展の途上で予期せぬマイナス現象が

いつの時代も、社会が変化、発展し、時が経過していく中で、予想もしないマイナス現象が付随して起きてきます。

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イエスの時代にも、「おまえの子孫から救い主が誕生するであろう」(創世記22章17節~18節参照)という神からのアブラハムとの約束に始まる「救いの歴史」に紆余曲折がありました。時は過ぎていくのですが、その約束が実現する気配はまったく感じられないのです。むしろ、がっかりさせられるような、否定的な出来事が次々と起こってきます。イスラエルの民は徐々に、利己的な思いに走り、横道にそれていくのです。

預言者は人間の恣意に流されなかった

それでも、歴代の預言者たちは民衆の心を、「約束」の思いに引き戻そうと呼びかけていきます。ここで大事なことは、やはり、預言者が人間の恣意に流されないことでしょう。同時に、自らつまずいたり、人に躓きを与えないことです。

そういう彼らの中で、洗礼者ヨハネは、イエスがメシアであることを知っていたのではないでしょうか。その彼が「ほかの誰かを待たなければなりませんか」とイエスに尋ねさせています。当時の権力者に対してさえも悔い改めを迫っていたヨハネ。彼が抱くメシア観は何だったのでしょう。イエスはヨハネの弟子たちに言います。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい」と。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」

ヨハネは確かにイエスの業を聞いたことはあったでしょう。しかし、その業を実現させている「神の言葉」を聞いたことはなかったのです。「見えるようになれ」という声によって、「目の見えない人が見えるようになる」という出来事は、神による新しい世界が現存しているしるしなのです。宇宙万物の創造と同じです。「神は言われた。 『光あれ』 こうして、光があった」(創世記1章3節)のです。神の言葉が直ちに実現したのです。イスラエルの民のこれまでの苦悩、マイナス現象は掻き消され、神の約束が結実します。

見えない人間本来の姿は常に保ちたい

「わたしにつまずかない人は幸いである」というイエスの言葉は、「預言者に勝る者」とイエスに賞賛されたヨハネが、イエスに躓かないようにというイエスの忠告乃至は配慮だったのでしょうか。ヨハネが躓きそうだったのでしょうか。メシアを人間の思いの枠にはめ込んではいけないよ、というイエスの呼びかけだったのでしょうか。

時代は変遷します。しかし、イエスの救いの業は時を超えて続けられます。生活が便利、豊かになっていくのはとても善いことですが、表に見える安易さの陰に、隠れて見えない人間本来の生きていく姿は常に保持し、伸ばしていきたいものです。そこに、わたしたちが信仰して、生きていく真の理由、根拠があります。神にかたどって創造された者として、・・。

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