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聖家族:三人の共通した「心」は、神は何を「今」望んでいるのかだった

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

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聖家族(A年)の説教=マタイ2・13~15、19~23

2019年12月29日

今年の最後の日曜日となりました。この一年を振り返ってみますと、人それぞれに感じること、内容に違いはあると思いますが、わたしにとっては、子どもたちが、良きにつけ悪しきにつけ、話題になった一年だったと思っています。

2019年の出生者数は90万人割れ?

中でも、わたしが長い間気になっていたこと、それは「少子化」です。先日、2019年の出生者数が初の「90万人割れ」となる見通しだというニュースが流れました。(讀賣新聞大阪本社、2019年12月25日朝刊)待機児童対策など政府は育児と仕事の両立支援策を進めてはいますが、少子化に歯止めがかかっていないのが現状のようです。働き盛りでもある子育て世代は、責任ある仕事を担う中で、育休取得や定時退社に踏み切れない人も多いとみられます。とはいっても、「制度を整える」だけではなく、社会全体で「子育てしやすい社会」を作ることが大事になっているのではないでしょうか。

少子化の原因は様々あると思うが…

少子化の流れに、歯止めがかからなかった理由は、様々あるでしょうが、実際に考えられることは、未婚率の上昇、晩婚・晩産化、バブル崩壊後の就職氷河期の影響など、多くの要因が絡み合ったものといえるようです。そして、現在は、婚姻数そのものが減少傾向にあり、2000年の約80万件から、昨年は60万件を割り込んでいます。

さらに、出生数にいたっては、子どもを産む中心世代である25歳~39歳の女性人口が大きく影響しています。2000年に約1320万人だった中心世代の女性人口は、今年7月時点で約970万人となり、国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2040年に810万人まで減少します。同研究所は、今年の出生数の減少は「想定の範囲内」としているようですが、それは数のうえだけの論理であって、このまま減り続けると、ゆゆしいことになりそうです。

なにも今年に限ったことではなく、今までの経過がこうした結果をもたらしたのでしょう。つまり、もの、制度を主眼とした対策のみでなく、もっと「人」を主眼とした施策は実現できないのでしょうか、と考えてしまいます。

即物的な幸せを願う傾向が問題では

かつて、中高生に、自分が欲しいと思っているものを列挙してくださいとお願いしたところ、「やせたい」「美しくなりたい」「お金が欲しい」「よい会社に入りたい」など、そのほとんどが即物的な幸せを願ったものでした。小学生にも、今、一番大事にしているものは何?と聞いたところ、すかさず「お金」という答えが返ってきました。

彼ら若者が願っているこれらの答えが、なにも悪いというのではなく、将来の自分をイメージした場合、自分の「人となり」についての考えはないのかなと、少々さびしくなりました。

「人」の真の豊かさとは何だろうか

先日、17歳の高校生が、電車の中で嘔吐してしまった40代の女性に介護の手を差し伸べたという話が報道されていました。「気がついたら」自分のシャツを脱いで、それで嘔吐物をきれいに処理していたそうです。どうしてそうできたのですか、という記者の質問に、彼は小学生の頃、自転車で転んだ自分が、見知らぬ優しいおじさんに傷の手当てを受け、助けられた経験を話していました。その時から、人の助けになることを大事にしようと思うようになったというのです。

わたしたちの社会は豊かになりました。たしかに、経済的な豊かさは物質的な面から言いますと、恵まれています。その一方で、「人」としての豊かさはどうなんでしょうか。ましてや、「家庭団欒」という言葉も耳にしなくなりました。死語になったのでしょうか。

聖家族:ヨセフは夢で聞いたお告げに従い、子どもと母親を守るために逃げた
聖家族(A年)の聖書=マタイ2・13~15、19~23 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。

今日は「聖家族の主日」です。イエス、マリア、ヨセフは決して経済的に豊かに生活していたわけではありません。大事にしていたのは、互いの絆、交わりでした。それぞれの置かれた立場を尊重し、認め合い、その中から自分の役割を見つけ実践することでした。

「神からあずかったいのち」の自覚

その家庭生活の中心にあったのは、「神からあずかったいのち」の自覚でした。そこに、生活の「心」があったのです。人間の価値に対するお互いの自覚、そこから生まれてくる愛ある家庭、家族の営みこそが、一人ひとりの平安とやすらぎを保証してくれます。そこから生まれ出てくるものは、お互いへの尊重、献身、また、自らの謙虚さであったといえます。ですから、その心は神に向かったものであると同時に、他者に向けられたものでもありました。

生きる価値観のゆがみは、かならず、自らの生活のどこかにあらわれてきます。それも弱者に顕著にあらわれます。子どもです。子育て、家庭の危機が語られ、問題視されている現代、子ども自身が相手にされているのでしょうか。周りの大人の都合、制度、施設等が重要視されて、当の子どもたちは蚊帳の外に置かれてはいないでしょうか。

家族に共通した心の探求を勧めたい

もっと、家族に共通した「心」の探求に目覚めてはどうでしょう。マリア、ヨセフは少年イエスに苦しめられ(?)ながらも、学んでもいたのです。三人の共通した「心」は、神は何を「今」望んでいるのかということでした。お互いの中に、神からのメッセージを聴きとり、読み取っていたのです。

このようなことが、楽しくできるようになると、わたしたちの家族も「聖家族」になれますね。お互いの存在が、自ずと平安と癒し、励ましになります。

 

【12月29日】聖家族(A年)の聖書はこちら

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