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復活節第5主日:不十分でも絆を保ち続けること。新しい何かが生まれる

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

復活節第5主日(C年)の説教=ヨハネ13・31~33a、34~35

2019年5月19日

介護業務における職員の意識の変遷

少子高齢化の課題は、その影響がいたるところで負の結果をもたらしているような気がします。その一方で、介護施設等に入居している高齢者も増えています。それに伴い、介護職員が抱える悩みも深刻になっています。介護職員に増える腰痛です。施設に入居している高齢者をベッドから抱き起したり、車いすに移したりする介護職員。その多くが深刻な腰痛に悩まされているのです。労働災害も増え続け、一部の施設や自治体では、人力に頼らず、リフトなどの福祉機器を活用する「ノーリフティングケア(抱え上げない介護)」に取り組み、効果を上げているといいます。(讀賣新聞大阪本社、2019年5月13日朝刊)

当初、機械の導入には否定的だったが

介護老人保健施設「聖和苑」(大阪)は、2016年4月からノーリフティングケアに取り組み、移動式リフトのほか、ベッドと車いすの間に設置して、入居者を座ったまま横滑りさせて移動させる「スライディングボード」なども積極的に導入してきました。

当初、職員の間では「機械で介護なんて冷たい」「面倒なのでは、・・・」との否定的な声が多かったようですが、導入すると、入居者にプラスの面も見えてきました。移動の際、入居者の脚をベッドや車いすにぶつける心配が解消されました。抱き上げられた入居者は緊張で体をこわばらせることがありますが、機器を使うと緊張が和らぎ、姿勢も改善されたそうです。入居者も乗ってみると「ゆりかごみたいで楽やな」と安心してくれたといいます。

腰痛が改善され、結果的には好評価に

取り組みを始める前は約35人の職員の7割が腰痛を訴えていたのですが、今では1割もいないということです。十数年にわたって慢性的な腰痛に悩んでいた須藤起佐さん(47歳)も、リフトやボードを使って一年半ほどで痛みが取れたといい、「大好きな仕事を安心して続けられる」と笑顔です。

新しい環境に慣れるまでには時間が必要

わたしたちはいつもと同じような生活をしているつもりでも、当たり前のことですが、決して同じ日はないでしょう。自分の体調の変化であったり、社会環境の変化であったり、自然環境の変動であったり、様々な「自分」の周りの環境に微妙に影響されます。まったくそれまでと違った新たな場所、雰囲気になったりしますと、戸惑いと同時に不安になったりもしますが、・・。また、その環境に慣れ親しむまで時を要します。

しかも、自分一人ではなく、他の多くの人びともいます。ひとつの物、運動、行事を押し進めていくのに力を合わせていく必要も出てきます。わたしたちは「人々」の中に、共に生活しているからです。つまり、人との関わりの中に遣わされ、そこから逃れることはできないのです。

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だから、イエスはその事実に目覚めると同時に、新たな生き方を弟子たちに、そして、今のわたしたちに伝え、招かれようとなさいます。「わたしは新しい掟をあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」と。

イエスが教える「新しい掟」は実現困難?

わたしたちが、人とのかかわりの中で生きるように置かれている限り、一人ひとりに必然的に求められていることは、「互いに愛し合うこと」ではないでしょうか。しかも「わたしがあなた方を愛したように」です。そして、その愛のはかりの基、そこに「新しさ」の所以があります。兄弟姉妹の相互愛のはかりは、キリストです。

つまり、キリストの、兄弟姉妹、隣人に対する心と行動が、わたしたちの愛の行いの理想として示されたのでした。とはいっても、「イエスのように」というわけにはいかないのが現実です。なぜならば、わたしたちの愛の行いは、弱々しいものであり、エゴイズムからくる身勝手な欲望に汚されたものであることを、現実の生活からよくわかっているからです。それでも、神はそのわたしたちを見捨てることはなさいません。人との「かかわり」を捨てようとはしないのです。ここに愛があるのです、とイエスは伝えているのではないでしょうか。

多少の不安、不便があっても続けること

高齢者施設で、新しい福祉機器を使用してお世話する時、する方にもされる方にも、初めは不安がつきまといます。多少の不便さがあったとしても、実施していくうちに慣れ、双方に、相応の効果的な実りをもたらすことができるようになりました。

生き方に関しても、不十分ながらも目指す方向が間違っていない限り、少しずつではあっても、実現へと近づいているのです。ここに「かかわり」を生きるようにというイエスからのわたしたちへの招きがあるのです。親と子、夫と妻、教師と生徒・学生、友人間で、介護を必要として施設に入居しているあの高齢者のように、「ゆりかごみたいで楽やな」と言い合える関わりの日が、きっと訪れることを願って、一歩一歩前に進んで行きたいですね。弱くてもいいんです。不十分でもいいんです。大事なことは、「かかわり」を捨てようとしないことです。

 

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