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年間第29主日:神の心に届く祈り、叫びを!信頼して答えを待つこと

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

年間第29主日(C年)の説教=ルカ18・1~8

2019年10月20日

「『次女は元気な小学1年生です。でもみんなと違うのは、おもらしすることです』排せつは生きる上で欠かせない営みですが、悩みとなると知り合いにはかえって明かしづらいもの。」という書き出しで始まるコラム記事に見入りました。(讀賣新聞大阪本社2019年10月13日朝刊)

明かしづらい悩みの相談-新聞記事から

約15年前,広島県内の小学生約7000人を対象に行われたおもらしに関する調査では、全体の約6%で月1回以上、昼間のおもらしがあるという結果が出ました。調査に関わった県立広島病院の梶原充医師は「排尿機能の発達が穏やかな子は一定数いて、高校生までおもらしが続く人もいます。小学1年生なら深刻に悩む必要はなく、定時の排尿を心がけて穏やかに見守ってください」とアドバイスなさっています。

とはいっても、当事者にとっては切実な問題です。その子のお母さんは「成長するにつれて自然と解消するだろうとは思いたい。出口の見えないトンネルを進むのは、本人も家族もつらくて、・・・。同じような経験をされた親御さんやいま、悩んでいる方の体験談を聞かせてほしいのです」と訴えておられます。

成長に必要なのは、人との良好な関わり

わたしたちは生きていくうえで、たくさんのことを必要とし、また、それらを求め続けながら自己の成長、お互いの関わりを豊かなものにしていきます。中でも大事なものが、「人」です。言うまでもなく、自分をも含めて大事です。その自分のなにがしかがあって、人が豊かにされ、また、人から豊かにしていただいている自分があるのです。そして、何かに、誰かに対する期待が膨らみ、希望し続けることができます。さらに、心からの励ましやいやしを受け、やる気を増大させて前に進んで行くことができます。

人とのかかわりが、良好な状態を維持している場合は生き生きとしています。心の状態も万全です。まさに、母親と赤ちゃんの関係がそうなのではないでしょすか。母親は生まれた赤ちゃんをあやしながら、将来りっぱな大人に成長するであろうことを期待し、夢を膨らませつつ子育てにあたります。そのためには惜しみない手助けを与え続けるのです。

人は無力を感じた時に力あるものに頼る

ところが、いつも順風満帆というわけではありません。いったん子どもが病に罹りますと、心配事ばかりが先んじてしまい、普段の気持ちと手助けにブレーキがかかってしまいます。これが現実です。時にはその冷酷さと無力感に打ちのめされそうになります。それでも、親は自分にできることは何でも挑戦します。そして、自分の力ではどうしようもなくなったとわかると、力ある人の助けを借りるために東奔西走するのです。

年間第29主日:神は、叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行う
年間第29主日(C年)の聖書=ルカ18・1-8 〔そのとき、〕イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

きょうの福音書に登場する未亡人(やもめ)も、このような状況下にあったのではないかと思われます。それまで、あらゆる手を考え、努力してきた結果、何も解決にたどりつくまでにはならなかったということでしょう。彼女の力はあまりにも小さすぎたので、力ある裁判官にその助けを求めたのでした。しかし、彼女の訴えをちゃんと取り上げてもらうためには、執拗に「裁判官のところに来ては・・・」とあるように、繰り返し頼みこむ必要があったのです。

やもめは裁判官にひっきりなしに頼んだが

やもめの懸命さは「ひっきりなしにやって来て」という表現でわかります。また「さんざんな目に遭わす」という裁判官の言葉は、直訳すると「目の下にアザをつける」となります。元来はボクシング用語で、「目の下を狙い撃つ」ことから転じて「困らせる」「すっかり迷惑をかける」という意味で使われています。さすがに、裁判官もついにやもめの訴えを取り上げることにしました。その理由は「うるさくてかなわないから」です。

イエスは続けます。「まして神は、・・・速やかにさばいてくださる」と。やもめの叫びは、神に向かって叫ぶすべての人間の姿なのです、とイエスはおっしゃりたいのです。神こそ、わたしたち人間にとって最も力のある方なのです。絶対的信頼をおける方なのです。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」(マタイ6章8節)「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイ5章45節)。

神は既にご存じだから、信頼して待つこと

とは言っても、その望みどおりに応えてくださらないことも教えられます。わたしたちは待たなければいけないのです。ぼーっと待つのではなく、それは「信頼しつつ」です。裁判官はやもめのしつこさに根負けしました。それでは、やもめの心は温まりません。安らぎを得ることはできないでしょう。

神は違うのです。わたしたちの父は、願う前から、わたしたちに必要なものをご存じなのです。わたしたちの叫びは神のみ心に届いているのです。わたしたちのゆきづまりも見て分かっていらっしゃいます。それなのに沈黙なさっているときがあるのです。神さまなりの理由があるのでしょう。わたしたちにはわかりませんが、・・。それは、わたしたち人間にとって決してマイナスには作用しない理由です。それをも「信頼しつつ」待つのです。

わたしたちの祈り(信仰)は、神とのかかわりをつなぎ留め、確認する糸です。子どもたちが、親にはすでにわかっていることをおねだりする時のように、今、わたしたちも、神が分かっているからこそ叫んでみましょう。今の悩みを、苦しみを、・・。

 

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