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12月6日の聖書

年間第30主日:強制ではなく自ずと湧いてくる有難さの表れが「愛の掟」

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年間第30主日(A年)の説教

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

年間第30主日(A年)の聖書=マタイ22・34~40

2020年10月25日

「爺ちゃんを 半日お守り する紙面」。鹿児島市中心部の10販売所でつくる南日本新聞錦江地区販売所長会(錦江南日会)が、新聞川柳を初めて募ったこところ、10代から90代の読者から132句の応募がありました。その中で、最優秀賞に選ばれたのが冒頭の句です。(南日本新聞2020年10月11日朝刊)

新聞川柳には作者の「地元愛」がたっぷりと!

この企画のきっかけは今春、新型コロナウイルスの影響からくる沈滞ムードを打開できないものかと、当時会長だった小室雅男さん(61歳)が新聞川柳のアイディアを提案し、実行することになったのでした。

募集は8月の一か月間。初の試みだけに鮫島大会長(45歳)は50句集まれば御の字と考えていたようです。ところが、嬉しいことに、予想の3倍近い132句が集まりました。鮫島会長は「折り込みチラシで1回告知しただけ。反響の大きさに正直驚いた」といっておられます。

「地方紙を 読んで帰郷が 身に染みる」「引っ越しの 片付け止める 古新聞」

選考には県川柳協会の麻井文博会長の協力をいただき、手応えをつかんだ錦江南日会は、今後も川柳企画を続けていくつもりであるということです。この度の企画で入賞した14の句は秀作ぞろいで、「新聞川柳」に作者の「地元愛」の思いが込められているとの評価もあります。

特に自分の故郷を遠く離れてしまうと、何かのきっかけで懐かしく、親しみの思いを込めて思い出すことがあるものです。

私事ですが、かつて、海外(フィリピン)で仕事についていたころ、地元のテレビ、新聞に、日本について報道されることってほとんどありませんでした。ましてや、鹿児島のことなど、・・。が、ある日、地元新聞のある面に小さかったんですが、「桜島大噴火」という活字を見つけました。地元紙上で初めて見る日本の記事だったので、丁寧に読んでいました。しかも、鹿児島の桜島噴火についてです。鹿児島でのかつての「桜島噴火」を思い出したものです。

地元愛、ふるさと愛はどこから湧いてくるのか

地元、鹿児島を離れた場所で、その上、外国にいて故郷を思い出し、思いを巡らすと、いわゆる、「オセンチ」になってしまいますよね。何か、写真のようになってその景色が出てくるんです。みなさんは、そのような経験はあおりではないでしょうか。

ところで、地元愛、ふるさと愛というものは、どのようにしてわたしたちの中に湧いてくるのでしょうか。身につけよとして努力しているのでしょうか。また、そうした教育を受けることにより、その成果を上げることができるものでしょうか。

自らを振り変えればわかるように、一人ひとりにとって、絵とか景色の美しさの評価、あるものに対する重要度の評価の基準等、人それぞれに異なります。したがって、「地元愛」にも、その人により愛の程度の違いがあるといえます。

それは、何に由来するのでしょうか。

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今日の福音書では、イエスは「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』 これが最も重要な第一の掟である」と言われます。イエスは、愛がおきてであるといわれるのです。人々に強要できる類のものです。その通りにしないと罰則を与えることができるものです。人が住む社会では、社会秩序の維持のためには必要なルールであるといえます。

「愛」は人の内側のその奥から湧いてくるもの

はたして、「愛」は外側から強制されなければ育たないものなのでしょうか。そうではないでしょう。むしろ、人の内側のその奥から湧いてくるもの、また、人に強制されてはいけない、いや、できないものではないかと思うのです。

にもかかわらず、イエスは「愛がおきてである」といわれるのです。実に、イスラエルの民にとって、神を愛さなければならない理由があるのです。だから、神を大事に、大切にしなければいけないと、イスラエルの民全体は信じてきたし、重要視してきたのです。その根拠は神から受けた恩義です。

「将来、あなたの子が、『我々の神、主が命じられたこれらの定めと掟と法は何のためですか』と尋ねるときには、あなたの子にこう答えなさい。『我々はエジプトでファラオの奴隷であったが、主は力ある御手をもって我々をエジプトから導き出された。主は我々の目の前で、エジプトとファラオとその宮廷全体に対して大きな恐ろしいしるしと奇跡を行い、 我々をそこから導き出し、我々の先祖に誓われたこの土地に導き入れ、それを我々に与えられた。 主は我々にこれらの掟をすべて行うように命じ、我々の神、主を畏れるようにし、今日あるように、常に幸いに生きるようにしてくださった。 我々が命じられたとおり、我々の神、主の御前で、この戒めをすべて忠実に行うよう注意するならば、我々は報いを受ける』」(申命記6章20~25節)

という神から受けた恵みによって、イスラエルの民があるのです。この事実をしっかりと受け止めるなら、神を大事にしなければいけない思いがわき上がってくるのではないでしょうか。「ありがたさ」をいかに感じ受け止めているかによります。それによって、「神への愛」の表現が一人ひとりによって異なってくるのは頷けます。

神と人を愛すべき根拠は、神から受けている恩

イスラエルの民は「出エジプト」という出来事に、神への愛の根拠がありますが、今のわたしたちにとっては、イエスの十字架の贖いという普遍的な根拠があるのです。イスラエルの民同様に、神からの一方的な恵みの賜物です。「神のみ旨にかなう」というとき、その人の神の恵みに目覚めている度合いによって、その生き方にあらわれます。

わたしたちに身近なふるさと愛、祖国愛、隣人愛など、その原動力は、神のわたしたちへの愛の、わたしの自覚にかかっています。

外からの強制ではなく、内から湧いてくる、自ずと培われてきた「ありがたさ」の表れが「愛の掟」です。

 

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