年間第6主日:本当に価値あるものは目に見えず気付きにくい

年間第6主日(B年)の説教=マルコ1.40~45

2012年2月12日

主との出会い

ある方とお話しをしている中で、「地獄の沙汰も金次第」ということわざの表現が出てきました。その方は仏教徒でした。そこで、その意味を確かめてみようと、本を引っ張り出しました。次のような説明がありました。

「金はどんなことでも可能にするというたとえ。『地獄の沙汰』は、死んで地獄に落ちた者が苛烈な裁判を受けて処罰が課せられること。そこでさえ、金を使えば判決が有利に働くというのがこのことわざの意。『阿弥陀の光も銭次第』と、金の威力は同じように仏様にも有効なのだから、ましてこの世は万事金の世の中、・・・。」何事も金の世の中で、仏様のご利益までも、賽銭が多いか少ないかで決まってしまう、といわれると、当事者のみなさまは心穏やかではないのではないでしょうか。

今日の福音で、イエスさまはこのことを心配してか、まったく逆のことを言われます。イエスさまは、重い皮膚病の人を癒やされます。そして、「だれにもいわないように」と強く注意なさいます。癒やされた本人にしてみますと、嬉しさのあまり、その喜びを人びとに伝えたくなります。これまた人間の本心からの「叫び」でもあります。

「他言無用」の戒めを発した裏にあったイエスさまの思いは、人びとが目先の「癒やし」というご利益だけを求めてイエスさまのもとに集まってくることを恐れての対応だったのではないかといわれています。同時にそのことはイエスさまがメシアであることを覆い隠してしまうことにつながるのです。しかし、癒しの奇跡はイエスさまが救い主であることを示すしるしであったのです。ですから、人々がこのように理解し、受け止めていれば、口止めされることはなかったのではないでしょうか。

いずれにせよ、わたしたちが「ほっとする」のは、これぞという人に出会えた時です。それによって、わたしたちは+α(プラスアルファ)の恵みをもいただきます。つまり、「安心」に付随するその他のいいものも同時にいただくのです。ここに味わいのある個性的な人となりが誕生する秘訣があります。だから、わたしたちは人を求めて生きるのです。

本当に価値あるものは、目に見えません。よって、気付きにくいのです。注意深くあり続けましょう。

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