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2015年/B年説教=イエスのこころ

2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第25主日:未熟さ、弱さを認める勇気が弟子たちの将来を変えた

「だれが一番偉いのか」と言い争う弟子たち。自分が人より優れているという慢心が弟子たちの心に息づいています。人として考えれば、誰にでもある現象でしょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第26主日:大事なことは純粋に相手の救いを願っているかどうかです

弟子たちが「特権意識」から謙虚になっていったように、わたしたちも「否定的言動」から解放されることを願いつつ、周りの人に注意を払えるようになりたいものです。
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年間第27主日:永遠の愛を誓う姿に「神の似姿」としての尊さがある

「永遠の愛」の根拠は、その死をもって愛の理想を示してくれたイエスさまにあります。誓った愛を生きようとする二人とともに、イエスさまは歩まれるのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第28主日:「あなたに欠けていることが一つある」と指摘されたら

この世の生活に執着している青年のこころを見抜いて言われたのです。「行って、持っているものをすべて貧しい人々に施しなさい」と。青年の中にある「生ぬるさ」を除きたかったのでしょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第29主日:他の人の幸せのために奉仕することが人の分際

「日常性」の中で、小さいことを積み上げていくことです。親は親として、子どもは子どもとして、女は女として、男は男として、背負うべきことを背負い、「今日」を生き抜くことです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第30主日:勇気を振り絞って、ありのままをイエスさまに訴えよう

今のわたしたちも、叫び続けるのです。願い続けるのです。人の非難をする前に、自分の罪をそのまま差し出すのです。いくら格好をつけようとしても、通りません。「ありのまま」がいいのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

諸聖人:幸いの宣言!わたしたちもその列に加えられる存在者

神が幸いにしてくださるのです。神が無条件で、わたしたちを愛し、祝福してくださっている宣言が「幸いなるかな」なのです。そして、その対象も無制限です。
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年間第32主日:やもめの献金は、神への全き委託の生き方を感じさせる

律法による権威づけはこのやもめにはありませんが、一生懸命神への道を歩んできたという事実の積み重ねが、すでに「権威」です。人から信頼と安心を勝ち取ることができます。
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年間第33主日:救われる道は神のあわれみへの謙虚な信頼、信仰

神の恵みの広さ、やさしさの深さ、人への愛の心は永遠に変わることがありません。「いと小さき者の一人でさえも滅びることを天の父は望まれない」とイエスさまは教えられました。わたしたちは、ありのままの自分を差し出すだけです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

王であるキリスト:私たちが、よってもって立つべき「軸」とは?

ピラトは何度もイエスさまをゆるそうとこころでは思いつつ、ユダヤ人から圧力をかけられ、自分が確信するままに行動できないのです。身の危険を感じると、真理の世界ではなく、虚偽の世界と手を結んでしまいます。
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年間第13主日:苦境の中で謙虚になる時、目覚めさせてもらえる

イエスは「恐れるな、ただ信じよ」と言われます。行き詰まって、思うようにならない状態であると分かると、人は「祈り」ます。愚痴を祈りとしてささげましょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活の主日:人間的常識にこだわる限り、「わかりません」としか言えない

すべての人に死は訪れます。人間的に見れば、死によってすべてが終わりです。しかし、「主の復活」は神とつながっている限り、死を乗り越えて新たな命につながっていくことを、わたしたちに保証してくださった、大きな希望をいだかせてくれる出来事です。