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年間第32主日:やもめの献金は、神への全き委託の生き方を感じさせる

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年間第32主日(B年)の説教=マルコ12.38~44

2015年11月8日

イエスの心また、名古屋で、中学一年生が地下鉄の電車にはねられて、死亡する事故がありました。名古屋市の教育委員会が、いじめを理由に自殺することをほのめかす遺書が見つかったことを発表しました。

過去の同じような事故等を踏まえて、学校側の対応は万全であったのに「何故?」という質問も出ているようです。「いじめ防止基本方針」の作成、月一度の生徒への「生活アンケート調査」、生徒たちへの聞き取り調査においても自殺をにおわせる言動、状況を把握できないでいたといいます。

「文章によるアンケート」で人の内心を知ることには限界があるのではないでしょうか。人を「もの」で測るのには無理があるような気がするのです。人は人を相手にして内心に触れるかかわりをもって、その人を知ることになるのではないでしょうか。

そこには、目に見えない「信」が存在しているのです。親子、教師と生徒の関係は答えが明白に出ないがゆえに、ゆっくりと、忍耐強く、継続して直接かかわっていくべきことではないでしょうか。そして、お互いの間に「信頼・安心」が生まれ、育ってきます。

今日の福音で、貧しいやもめが登場します。イエスさまは弟子たちに言います。「ききなさい。あの貧しいやもめは、賽銭箱に投げ入れている人の中で、だれよりも多く投げ入れた」と。続けます。「あのやもめは乏しい中から、その持っているすべてを、生活費のすべてを投げ入れたからである」。

このやもめのこころの中は、それまでの生活の中で培われてきた神への「信頼心」に満ち溢れていたのでしょう。打算のない、神への全き委託の生き方を感じさせます。それまでの生活体験から生まれ育った「神を愛しなさい」という第一の掟が、このやもめの中に生きています。

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イエスさまは、見た目にはきれいな律法学士とは対照的な、みすぼらしいやもめを弟子たちに示されるのです。外見上、人目をひくような特徴的なものは何もありませんが、金銭的にはわずかでも、その行為そのものに輝くものがあるといわれるのです。

律法による権威づけはこのやもめにはありませんが、一生懸命神への道を歩んできたという事実の積み重ねが、すでに「権威」です。人から信頼と安心を勝ち取ることができます。生き方を転換するほどの体験が、彼女にはあったということができるでしょう。

やはり、互いの語らいです。直に対話することです。信頼・安心は一朝一夕で育つものでもないでしょう。「アンケート」「調査」という手段だけに頼るのではなく、頼りになるのは「人」です。人の営みの土台はどこにあるのでしょう、・・。悲しいかな、原点に戻るようにと促しているような事件事故が頻発しています。

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