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復活節第3主日:経済あっての生活とはいえ、日々の活動力の源泉は?

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復活節第3主日(C年)の説教

2022年(C年)説教の年間テーマ=「弱き者を救う神」

復活節第3主日(C年)の説教=ヨハネ21・1~19

2022年5月1日

新型コロナウイルスの感染拡大が始まって3年目に入りました。今では、それも東アジアだけでの拡大が深刻になっているような気がします。欧米ではマスク着用も緩和され、場所によってはマスク義務が解除になっています。先日のアメリカからのニュース報道によると、マスク着用から解放された若者が、「こんな気持ちいいことはない」と言っていました。

コロナ 都市圏で減少傾向、地方での拡大が気になる

翻って日本ではどうかと言えば、都市圏では減少傾向ながら、地方での拡大が気になります。わが国では、コロナウイルスは未だに衰える気配がありません。どうしたことなんでしょうか。

この度の長きにわたるコロナ感染により、いたるところでその影響が出て、多くの異なった業種の会社が倒産ないしは廃業を余儀なくされました。さらに、そんなに頻繁に話題に上ることがなかったように思われますが、「自殺者」のこと、どうしても気になってしまいます。

コロナ禍において、我が国の自殺のトレンドが加速した可能性があります。近年、 自殺が増加し始めていた「子ども(児童生徒)」や「若年女性」等の自殺が急増しているのです。コロナ禍が長期化する中で、表面張力のようにして何とか生きることに留まっている人たち(= 自殺のリスクを抱えた人たち)が増えており、月別自殺者数は減少傾向にありますが、社会的な自殺リスクはむしろ高まっている可能性があります。しかし、生活支援等の政策が自殺の増加を抑制している可能性もあります。自殺対策(= 生きることの包括的な支援)の観点からも、コロナ禍において生活支援等の更なる強化が求められるところです。(いのち支える自殺対策推進センター)

経済の縮小で生活不安が増大、自死リスク増加傾向

生活が安定することは、生きるための大きなエネルギー源、活動源になっていることは確かでしょう。そのためには仕事があることです。とどのつまり、人は他人のために働き、活動し、喜びを感じ、自らが生きるための活力をそこから得て前に進むんです。等しく誰にでもある価値観ではないでしょうか。経済的側面からの大きな力です。

しかし、その仕事場である会社が倒産、廃業に追いやられてしまっています。状況は次の通りです。新型コロナウイルス関連倒産(法人および個人事業主)は、全国に3226件判明(2022年4月25日16時現在)法的整理3005件(破産2847件、会社更生法2件、民事再生法106件、特別清算50件)、事業停止221件。業種別上位は「飲食店」(514件)「建設・工事業」(380件)「食品卸」(171件)「ホテル・旅館」(137件)などとなっています。(帝国データバンク)

各種の経済対策にも拘らず、景気回復の兆し見えず

経済活動を回すために、政府は観光支援事業として「GO TOトラベル」を実施してきましたが、今、その停止から1年4カ月がたちました。この間、感染状況が落ち着いた局面でも政府は用心深く事業再開の決断をしませんでした。タイミングを誤れば世論の反発を受けかねないという判断が働いたのでしょうか。

一方、当座しのぎのはずだった県民割への財政支援は、ずるずると続いています。4月25日時点で44都道府県が県内の旅行割引を実施しています。とはいっても、国の財政支援は対象期間などに制限があり、多くの県はこれに従って、繁忙期の大型連休(4月29日~5月8日)を除き5月末まで続けるといいます。しかし、この県民割の対象地域は、隣県や関東など広域ブロックに広げることもできますが、各都道府県の判断にゆだねられており、利用者にはわかりにくくなっています。

中でも沖縄県は住民の県内旅行だけに割引を適用しており、広域ブロックは対象外です。また、東京都は割引を見送っています。つまり、居住地によってサービスの差が出てくる始末です。「不公平」を感じると都在住の男性は語ります。(南日本新聞2022年4月26日朝刊)

復活節第3主日:イエスはペトロに三度問う「わたしを愛しているか」
復活節第3主日(C年)の聖書=ヨハネ21・1~19 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、

裏切りを赦されたペトロ、そこから何を学ぶべきか

今日の福音書で読まれる個所は、以前のガリラヤでの弟子たちの召し出しの時の話を思い出させます。(ルカ5章4~6節参照)その時も弟子たちの漁は不漁でした。そして、その時から弟子たちはイエスについていくようになったのでした。それは、大漁という出来事を通して「イエスが主である」ということに、ペトロの心が開かれたからです。今日の福音書でも同じように、弟子たちの心は開かれていきます。

しかし、ペトロはかつて三度「知らない」と言ってイエスを否みました。そして、イエスを前に逃げていきました。どうしようもなかったのです。それは言うまでもなく裏切り行為です。この事実を否定することもできないし、また、告白することもできなかったのです。誰でも、人は弱く、醜いものです。また、過ちを避けられる人もいないでしょう。経験上よくわかっています。でも、そのことを棚に上げて、人を責め立ててしまうのも人間です。それによって、時には、どうしようもなく自分に腹立たしくなることもあります。

経済は必要だが、奥にある「力の源泉」はもっと!

結局は、人は自分の過ちを真正面から見つめなければいけないのです。また、それができます。これは、人の持つすばらしさではないでしょうか。この事にも日常気づきたいです。

今日の福音書でイエスは、ペトロに自分の過ちに正面から向き合うように促しているようです。ペトロはしっかりと向き合い、すべてをイエスに委ねたのです。委ねることができるようになるのですね。今のわたしたちにも、・・。

こうして、ペトロの新たな司牧への道が整えられました。今のわたしたちからしますと、いわゆる教会活動です。「活動する力の源泉」は、ペトロの弱さを担い、赦されたイエスの愛とそれに元気づけられて前に進もうとする力強さです。一人ひとり自分の弱さ、過ちを見つめ、向き合い、その弱さを受けとめ、ゆるしてくださっているイエスをも見つめ、委ねましょう。そうできるように願い続けましょう。

ここから教会活動、宣教・司牧が始まります。これが、今のわたしたちが生きるために、経済的側面の力だけでなく、その奥に横たわる「力の源泉」であるといえます。

 

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