『復活節第4主日』の聖書と説教はこちら

2022年/C年説教=弱き者を救う神

2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第14主日:「これが平和なのかな」、自分の傍らに見出だす

今日の福音書でイエスは弟子たちに平和の伝達者の心を勧めます。日常わたしたちの身近なところで展開されていく出来事の中に、平和の苗床があるのに、それに気づいていないのであれば、しっかりと目を見開きたいものです。
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年間第13主日:信仰のマンネリ化から創造的に生みだす新たな「わたし」の道

教会活動はどうでしょうか。マンネリ化が進めば進むほどに、活動そのものは後退してしまいます。イエスが覚悟を決めて「わが道」を日常に求め、歩み始めたように、わたしたちも最高の価値ある「わたし」の歩む道を探しあてたいものです。
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キリストの聖体:聖体を定めたイエスの思い⇒愛の結晶。その思いに近づきたい

ご聖体は、地上のいっさいの罪をその身に受け取り、つつみこんでしまわれたイエスのわたしたちへの愛の結晶です。したがって、聖体をいただくたびに、わたしたちは、イエスを十字架に追いやった罪を悔い、そして、その罪をはるかに超えた主の愛の恵みをいただくことができます。
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三位一体:キリスト者とは、父と子と聖霊の交わりを深めて生きるひと

わたしたち洗礼を受けた者にとって、三位一体の神との交わり(信仰)は「宝物」に、魅力になっているのでしょうか。癒やされ、つなぐ力を得ているでしょうか。また、その力を生かし、新たなつなぎになっているのでしょうか?!
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聖霊降臨:わたしたちの教会と「わたし」の新たな旅立ち⇒時代への対応

聖霊降臨の大祝日に、「わたし」は今の時代の要請にどう立ち向かいますか。イエスの掟、言葉を実践の場でどう生きるかが、今もいつも問われています。
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主の昇天:各自がキリストの証人であることを意識させる『目覚めの祝日』

イエスが弟子たちに促し、命じているのは、日常の生活現場での意識転換であり、誰もが取り組めること。主の昇天は、わたしたち一人ひとりに生ぬるい生き方から、キリストの証人であることを意識させる『目覚めの祝日』です。
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復活節第6主日:人生は交わりの積み重ね、聖霊の働きかけを重ねよう

イエスは、自分がいなくなってどん底に突き落とされるであろう弟子たちに、イエスの言葉を思い起こし、すべてのことを教えてくださる聖霊を遣わすと言われるのです。そして、新しい希望を抱くべく励まされるのです。新しい真の「平和」です。
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復活節第5主日:今の時代だからこそ必要とされる愛、その愛の根拠はどこに?

イエスがおっしゃる「あなたがたを愛したように」という「ように」は、愛の程度を示しているのではなく、愛の根拠を表しています。したがって、イエスの愛に目を向ける時、どこを見ればいいのか。それは十字架です。
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復活節第4主日:自分が置かれた立場でそれぞれ「和」の関りを

羊は羊飼いによって守られ、導かれなければ、生きていくことができない動物です。羊飼いの思いが、羊たちに通じるのは、羊飼いが羊のことを一頭一頭の個性までも知り抜いているから。羊飼いと羊の関係は、イエスとわたしたちの関係と同じです。
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復活節第3主日:経済あっての生活とはいえ、日々の活動力の源泉は?

今日の福音書でイエスは、ペトロに自分の過ちに正面から向き合うように促しています。一人ひとり自分の弱さ、過ちに向き合い、そんな自分ををゆるしてくださるイエスを見つめ、委ねましょう。人には経済的な力だけでなく、その奥に横たわる「力の源泉」が必要です。
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復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か?

人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。
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復活の主日:イエスは、今なお、この瞬間の「わたし」の傍におられる

過去の悲しみにつつまれた闇の心を喜びに変え、絶望に満ちた心を希望で満たし、生きる力をわたしたちの心にみなぎらせるのがキリストの復活です。希望に反する状況にあってもなお、希望し続ける勇気、元気を与えくれるのが復活の信仰です。
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受難の主日:いかなる時にも動揺しないイエスに、訴えましょう、甘えましょう

福音記者ルカはわたしたちに、人間の暴力にも憎しみにも、愛の心をもってこたえるイエスの中にこそ、平和の原点があるということを訴えているようです。だから、イエスに向かう、祈る価値があるのです。イエスにすがりましょう。
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四旬節第5主日:人に石を投げる代わりに、恵みを注ぎ続ける神に向かおう

イエスの言葉は、安易に裁きたくなる人びとに、自分の現実に目を向けてみなさいと促しています。人が裁こうとしている人を神はそっと支え、救おうと働きかけているのです。神は、人間のすべてを知りつつ、石を投げる代わりにゆるしの恵みを注ぎ続けておられます。今も、これからも。
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四旬節第4主日:何のために働くのか、その根源的意義を問い直してみたい

今日の福音書の話はその後、どう展開されていったかは記されていませんが、想像するに、弟は、父親とも兄とも真っ当な交わりを作り上げ、大いに人生を、楽しく謳歌したとむすばれていくのではないでしょうか。
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四旬節第3主日:神は、「わたし」の協働を不安と期待の中で待ち続ける

わたしたちが通常、祈り、願う時、その実、何をどうしてほしいというのでしょうか。もしかしたら・・・不幸な事件を噂するとき、知らず知らずのうちに事件に遭遇した人々の罪に目を向けていませんか?今日の福音書では、まさにこのことが指摘されています。
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四旬節第2主日:自己環境に注目!その中で「わたし好み」の時、場所とは

社会の喧騒から離れることは、心も体も現実との関係を断ち、ゆっくりと自分の好きなことに集中できるということでもあるでしょう。それが、イエスの場合は神に祈ることだったのです。自分好みの時、場所、過ごし方を意識してみること、大事かもしれませんね。
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四旬節第1主日:人に欲ある限り誘惑はつきもの。その誘惑を克服するには?

イエスは誘惑を受けた際に、どのように対処したらよいのかを、わたしたちに示されています。何をするにも、イエスの思い、心は神の意思に向いたままです。そして、神の意思を知る最良の道、それが聖書に聞くことでした。聖書の言葉を思い出すことだったのです。
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年間第8主日:目の中の丸太=人の内面に巣食う闇⇒神の働きかけを拒む頑なさ

今日の福音書の要は、「目の中の丸太」です。この言葉は、人の内面に巣食う闇、すなわち、神の働きかけを拒むかたくなさを表現している言葉です。子どもたちにはこれがありません。無理とはわかっていても、・・子どもに倣いたいですね。
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年間第7主日:愛すること=ゆるすこと。イエスはいつも「あなた」の背後に

「愛する」こと、それは「ゆるす」ことです。徹底して相手を大事にしようとするとき、勇気が必要になってきますが、「わたし」の背後には、いつもイエスがいてくださいます。