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復活節第6主日:人生は交わりの積み重ね、聖霊の働きかけを重ねよう

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復活節第6主日(C年)の説教

2022年(C年)説教の年間テーマ=「弱き者を救う神」

復活節第6主日(C年)の説教=ヨハネ14・23~29

2022年5月22日

出所者を支援する更生保護施設の話から

刑務所を出所した人たちに食事や住居を提供し、自立を支援する更生保護施設が鹿児島市草牟田にあります。その施設は草牟田寮(鹿児島市)です。この施設は、1899年の設立で、今年で124年目を迎えるということです。(讀賣新聞西部本社2022年5月16日朝刊)

長い歴史の中で、その時々に噴出してくる課題と取り組んでこられたことでしょう。今また、新たな課題に直面しているといいます。それは入寮者の高齢化、また、新型コロナウイルスによる対策等があります。

施設を運営する法人理事長の深野木信(ふかのき・しん)さん(63歳)の話です。「自立が困難な状況の人に原則半年間、部屋を提供している。日中は仕事をして社会復帰のための資金をためてもらう。土日などには再犯の防止や依存症脱却に向けた講習会なども行っている。ここ数年の収容率は9~10割と、全国の同様の施設と比べても高い割合で推移している」ということです。

支援内容の特徴としていえるのは、入寮者が相談しやすいように担任制を取っていることです。金銭管理や生活保護、運転免許、年金など様々な手続きのサポートを行うための環境づくりを行っています。2009年には、高齢者、障害者を受け入れる施設として指定され、手すりやスロープなど施設内の改修も行っています。

仕事、居場所、つながりの三つを大切に

さらに深野木さんは言われます。「自立には仕事、居場所、つながりの三つを作ることが大切と考えている。社会で誰も相手にしてくれないから再犯に走ってしまう。入寮者が社会の一員となって巣立っていくため、粘り強くサポーとしていきたい」と結んでいます。

わたしたちは意識するしないにかかわらず、自分以外の誰かを求めています。その人が自分にとって格好のいい人であれば、気分も良くなるし、大きく成長していく出会いとなります。そうでなければその逆です。そして、いい人との別れはとてもつらいし、さびしいものです。

復活節第6主日:わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える
復活節第6主日(C年)の聖書=ヨハネ14・23~29 「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。・・・」

今日の福音書では、イエスと弟子たちの別れが中心になっています。それこそ、弟子たちにとってイエスの存在は大きな、いい出会いでした。人間としても強くなれました。躓き倒れたりしても、必ずそばにはイエスがいて、助け起こしてくれました。弟子たちの支え手として、励まし手としての大きな存在者でした。しかし今、イエスは彼らのもとから去っていきます。これまでは肉眼でイエスを見、触れ、感じていました。きょうのイエスとの決別においてこれまでのイエスの教え、メッセージについて自信をなくししまうかもしれません。イエスはそうした弟子たちの心のうちを読み、その弱さを見抜いて言われます。「心を騒がせるな。おびえるな」と。

イエスから弟子たちへの別れ際のことば

わたしたちも日常体験していることです。信頼できる人、安心できる人がそばにいてくれるだけで大きな励まし、前に進むための力となっています。それが、いなくなるということは、わたしたちの心に混乱を引き起こしてもおかしくありません。しかしイエスは、このことを十分に承知していらっしゃいます。それでも一度突き放してしまわれるのです。

そして、「わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る」と言われます。「去っていく」という言葉は、「死ぬ」を意味する婉曲的な表現として用いられていますが。(マルコ14章21節)ヨハネの場合は、ほとんどの用例でイエスがおん父のもとへ「行く」ことを表します。ヨハネにとって、イエスの死は父のもとへ「帰る」ことであり、闇の中へ消え去る滅びではありません。

さらに、「わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。」「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。」とも言われますから、イエスの死の意味を悟るために、イエスを愛し、その言葉を守るように求められています。それは、父なる神の思いに触れることにもなるのです。イエスの言葉は神のものですから。

イエスが残し与えてくれる「平和」とは

さらにイエスは、どん底に突き落とされるであろう弟子たちに、イエスの言葉を思い起こし、すべてのことを教えてくださる聖霊を遣わすと言われるのです。そして、新しい希望を抱くべく励まされるのです。新しい真の「平和」、それはイエスが十字架にのぼることによってもたらされる「平和」です。それを、わたしたちがさらに喜ぶことができるように、父と子と聖霊が一つになって働きかけてくださるのです。

聖霊の働きかけは何かといえば、弁護士のようなものだといいます。一人では生きていけない人のために権利を守り、弁護します。生きるように励まし、力づけ、導きます。したがって、この世の現実の厳しさ、苦しさに押しつぶされ、気力を失った弟子たちに新たな光を照らし立ち上がらせるのです。今のわたしたちに対しても、同じように働きかけてくれています。わたしたちはどうしても一人ぼっちではおれないのです。

更生保護施設・草牟田寮の入寮者にとって、相手になってくれる人がいるか、いないかでその心身の動きにも大きな影響があるように、誰にとっても「相手」になってくれる人の存在は、生き抜くために絶対に必要です。深野木さんの話に、自立には三つのことが必要であるとありますが、いずれを取り上げても「人」が関係しています。

人がこの世に生まれてからの生活は、人との交わりで織りなされた人生です。これは昔も今も変わることはありません。

聖霊の働きかけも変わることはないのです。

 

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