『四旬節第5主日』の聖書と説教はこちら

yaziro

日曜日の聖書

四旬節第5主日:一粒の麦が地に落ちて死ぬことによって多くの実を結ぶ

四旬節第5主日(B年)の聖書=ヨハネ12・20~33 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
日曜日の聖書

四旬節第4主日:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された

四旬節第4主日(B年)の聖書=ヨハネ3・14~21 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
日曜日の聖書

四旬節第4主日:目が見えないのは罪のせいではない。神の業がこの人に現れるためである

四旬節第4主日(A年)の福音=ヨハネ9・1~41 〔そのとき、〕イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。
日曜日の聖書

聖家族:幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた

聖家族(B年)の福音=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 《それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
日曜日の聖書

主の降誕【クリスマス】今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった

主の降誕の福音=ルカ2・1~14 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

B年最初の説教は、11/30(木)17:00公開予定です

新しい典礼歴・B年が始まります。 12月3日(待降節第1主日)B年最初の説教は、11月30日(木)17:00公開予定で準備しています。 公開まで、今しばらくお待ち願います。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第33主日:神の意向に応えるとは?形と掟を守るだけでは足りない

イエスがわたしたちに、「タラントン」の話を通して伝えようとしていることは、形を守り掟にしたがっていることで、神への道を歩んでいると思い込んで、安心しているとすれば、神の豊かな、あふれ出るやさしさ、温かさが見えなくなってしまいますよ、と・・・。
日曜日の聖書

主の変容:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け

主の変容(A年)の福音=マタイ17・1~9 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第16主日:毒麦の話は外見で評価し、裁いてしまいがちな人間への警鐘

毒麦のたとえは、いわゆる「悔い改め」に気づく時間を、わたしたちに与えてくださっているのです。同時にこれは、外見で簡単に人を裁くな、それは神の領域の世界である、と言われているのです。自分の「はかり」ほど身勝手で、不安定で不確実なものはありません。
日曜日の聖書

復活節第2主日:弟子たちは家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが現れた

復活節第2主日(A年)の聖書=ヨハネ20・19~31 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
日曜日の聖書

復活の主日/イースター:二人の弟子は墓に入って、空の状態を見て、信じた

復活の主日の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。
日曜日の聖書

受難の主日:百人隊長や見張りの人たちは「本当に、この人は神の子だった」と言った

受難の主日/枝の主日(A年)の聖書=マタイ27・11~54 イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
日曜日の聖書

四旬節第5主日:わたしは復活、命である。信じる者は、死んでも生きる。

四旬節第5主日(A年)の福音=ヨハネ11・1~45 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
826ブログ

組織図も簡単に作れる!diagrams.net という無償ソフト

教会はもとより、会社や自分が関わっている団体などの組織図や仕事の流れなどを図で示したいと思ったことはないだろうか?そんなときに使うパソコンのソフトは、何だろう? 人それぞれかとは思うが、満足しているだろうか?
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表

占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。「星」はすべての人のために輝いています。
日曜日の聖書

神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた

神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第3主日:神のことばを活動の中心に!まずはそのことに目覚めたい

わたしたちは神を人間の思考範囲の中に閉じ込めようとしがちです。人間の思いの中で、いつの間にか神を都合よく利用しようとしているのです。こうした誘惑から解放されるには「時」がかかるでしょう・・・
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている

きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か?

人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。
日曜日の聖書

復活節第2主日:イエス「わたしを見ないのに、信じる人は幸いである」

復活節第2主日(C年)の聖書=ヨハネ20・19~31 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、