『三位一体』の聖書と説教はこちら

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日曜日の聖書

三位一体:神が御子を世に遣わされたのは、御子によって世が救われるためである

三位一体の主日(A年)の福音(ヨハネ3・16~18)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
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年間第11主日:収穫は多いが、働き手が少ない…主に働き手を願いなさい

〔マタイ9・36~10・8〕そのとき、イエスは、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
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聖霊降臨:聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、赦される。

聖霊降臨(A年)の福音=ヨハネ20・19~23 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
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復活の主日/イースター:二人の弟子は墓に入って、空の状態を見て、信じた

復活の主日の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。
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組織図も簡単に作れる!diagrams.net という無償ソフト

教会はもとより、会社や自分が関わっている団体などの組織図や仕事の流れなどを図で示したいと思ったことはないだろうか?そんなときに使うパソコンのソフトは、何だろう? 人それぞれかとは思うが、満足しているだろうか?
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表

占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。「星」はすべての人のために輝いています。
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神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた

神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
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主の降誕【クリスマス】今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった

主の降誕の福音=ルカ2・1~14 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第3主日:神のことばを活動の中心に!まずはそのことに目覚めたい

わたしたちは神を人間の思考範囲の中に閉じ込めようとしがちです。人間の思いの中で、いつの間にか神を都合よく利用しようとしているのです。こうした誘惑から解放されるには「時」がかかるでしょう・・・
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている

きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。
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キリストの聖体:すべての人が食べて満腹し、パンの屑が12籠も残った

キリストの聖体(C年)の福音=ルカ9・11b~17 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。
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三位一体:真理の霊が来てわたしのものを受けて、あなたがたに告げる

三位一体(C年)の福音=ヨハネ16・12~15 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
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聖霊降臨:父が遣わす聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくれる

聖霊降臨(C年)の聖書=ヨハネ14・15~16、23b~26 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か?

人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。
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聖金曜日:イエスは、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19・30)

主の受難の福音(ヨハネによる主イエス・キリストの受難=ヨハネ18・1~19・42)夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
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聖金曜日はことばの典礼、十字架の礼拝、交わりの儀の3部構成

聖金曜日(主の受難)の典礼祭儀は、普段とは全く違っている。まず祭壇の飾りがない。入祭の歌もない中、神父さんは赤い祭服をつけて静かに入堂し、祭壇の前でひざまずくか伏臥してしばらく沈黙の祈りをささげる。その後祭壇から会衆席に向かっていつもの「祈りましょう」の招きもなく、祈願を唱える。
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聖木曜日:イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた(ヨハネ13・1)

主の晩餐の夕べの聖書(ヨハネ13・1~5)過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。
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主の洗礼:イエスが洗礼を受けて祈っていると、天が開け聖霊が降った

主の洗礼(C年)の聖書=ルカ3・15~16、21~22 〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

待降節第2主日:自らに目覚め、ゆるされたいと願う真剣な自分がいるか?

マイナスやプラスの報道双方に「神からの救いの業のしるし」を見つけていただきたい。わたしたち日本人が大事にしてきたこと、置き去りにしていることは何でしょう。身近なそこにこそ、「神の救いの業の示し」がありはしないでしょうか?
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第31主日:神は一人ひとりを愛している。だから、互いを大切にする

一人ひとりの人間の中には神のかたどり、その姿が込められています。人はみな、一人ひとり神から大切にされています。だから、お互いを大切にするのは当然のこと。わたしたちも、自分が尊敬する人が袖にされると嫌な思いになりますよね。