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2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

主の洗礼:イエスは”民の一人として”、神への「義」を示された

今日の福音で、「我々にふさわしいことです」という言葉の「我々」とはだれを指すのか。イエスがヨハネのところにやってきたのは、「彼から洗礼を受けるため」であり、人々も同じ理由から集まってきています。イエスも民の一人としてヨハネの前に現れたといえます。
日曜日の聖書

主の洗礼:「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」

主の洗礼(A年)の福音=マタイ3・13~17 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
日曜日の聖書

主の公現:彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開け贈り物として献げた

主の公現(A年)の福音=マタイ2・1~12 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。
日曜日の聖書

洗礼者ヨハネの誕生:月が満ちて、ザカリアの妻エリサベトは男の子を産んだ

洗礼者ヨハネの誕生の聖書=ルカ1・57~66、80 月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。
日曜日の聖書

年間第3主日:「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

年間第3主日(B年)の聖書=マルコ1・14~20 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤヘ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
日曜日の聖書

年間第3主日:この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した

年間第3主日(C年)の聖書=ルカ1・1~4、4・14~21 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。
日曜日の聖書

年間第2主日:イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行った

年間第2主日(C年)の聖書=ヨハネ2・1~11 〔そのとき、〕ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、
日曜日の聖書

年間第2主日:イエスは彼らに「来なさい。そうすれば分かる」と言われた

年間第2主日(B年)の聖書=ヨハネ1・35~42 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
日曜日の聖書

主の洗礼:「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

主の洗礼(B年)の聖書=マルコ1.7~11 〔そのとき、洗礼者ヨハネは〕こう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
日曜日の聖書

主の洗礼:イエスが洗礼を受けて祈っていると、天が開け聖霊が降った

主の洗礼(C年)の聖書=ルカ3・15~16、21~22 〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
日曜日の聖書

主の公現:わたしたちは、東方でその方の星を見たので、拝みに来た

主の公現(C年)の聖書=マタイ2・1~12 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
日曜日の聖書

主の公現:東方で見た星が先立って進み、幼子のいる上に止まった

主の公現(B年)の福音=マタイ2・1~1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
日曜日の聖書

聖家族:ヨセフは夢で聞いたお告げに従い、子どもと母親を守るために逃げた

聖家族(A年)の聖書=マタイ2・13~15、19~23 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
日曜日の聖書

主の降誕【クリスマス】今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった

主の降誕の福音=ルカ2・1~14 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
日曜日の聖書

ラテラン教会の献堂:わたしの父の家を商売の家としてはならない。

ラテラン教会の献堂(C年)の聖書=ヨハネ2.13~22 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
日曜日の聖書

死者の日:父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである

死者の日の福音=ヨハネ6・37~40 〔そのとき、〕イエスは人々に言われた。 「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

十字架称賛:十字架、それは神の思いを人々に伝えるためのしるし

十字架は罪を認めて見上げたものに命を与える神の愛の現われです。神は、独り子を与えるほどに、この世に対する深い愛を示され、滅びに向かいさばきを免れない「わたしたち」をお見捨てになれなかったのです。
日曜日の聖書

十字架称賛:信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである

十字架称賛(A年)の聖書=ヨハネ3.13~17 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

年間第20主日:イエスの愛を受け取った「わたし」は、日々をどう生きる?

人々は神から遠くに離れているにもかかわらず、神の側に立っていると信じきっています。自らの思いに自信満々。神に目を向けない人がつくりだす平和はみせかけのもにすぎず、いずれ破綻をきたすのは必定です。
日曜日の聖書

聖ペトロ 聖パウロ使徒:「あなたはメシア、生ける神の子です」

聖ペトロ、聖パウロ使徒の聖書=マタイ16・13~19 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」