日曜日の聖書 年間第25主日:最後に来た者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ 年間第25主日(A年)の福音=マタイ20・1~16 〔イエスは弟子たちに語られた。〕 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 2014.09.18 日曜日の聖書
日曜日の聖書 年間第24主日:兄弟があなたに罪を犯したら、七の七十倍までも赦しなさい 年間第24主日(A年)の福音=マタイ18・21-35 〔そのとき、〕ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 2011.09.09 日曜日の聖書
日曜日の聖書 主の変容:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け 主の変容(A年)の福音=マタイ17・1~9 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 2017.08.03 日曜日の聖書
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 年間第16主日:毒麦の話は外見で評価し、裁いてしまいがちな人間への警鐘 毒麦のたとえは、いわゆる「悔い改め」に気づく時間を、わたしたちに与えてくださっているのです。同時にこれは、外見で簡単に人を裁くな、それは神の領域の世界である、と言われているのです。自分の「はかり」ほど身勝手で、不安定で不確実なものはありません。 2023.07.20 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
日曜日の聖書 復活の主日/イースター:二人の弟子は墓に入って、空の状態を見て、信じた 復活の主日の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。 2014.04.17 日曜日の聖書
日曜日の聖書 四旬節第2主日:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け 四旬節第2主日(A年)の聖書=マタイ17・1~9 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。 2014.03.13 日曜日の聖書
826ブログ 組織図も簡単に作れる!diagrams.net という無償ソフト 教会はもとより、会社や自分が関わっている団体などの組織図や仕事の流れなどを図で示したいと思ったことはないだろうか?そんなときに使うパソコンのソフトは、何だろう? 人それぞれかとは思うが、満足しているだろうか? 2020.07.16 826ブログ
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表 占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。「星」はすべての人のために輝いています。 2023.01.05 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
日曜日の聖書 神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた 神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 2015.12.31 日曜日の聖書
日曜日の聖書 主の降誕【クリスマス】今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった 主の降誕の福音=ルカ2・1~14 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 2015.12.23 日曜日の聖書
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 待降節第3主日:神のことばを活動の中心に!まずはそのことに目覚めたい わたしたちは神を人間の思考範囲の中に閉じ込めようとしがちです。人間の思いの中で、いつの間にか神を都合よく利用しようとしているのです。こうした誘惑から解放されるには「時」がかかるでしょう・・・ 2022.12.08 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。 2022.11.24 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
日曜日の聖書 年間第27主日:しもべが主人に命じられたことを果たすのは当然だ 年間第27主日(C年)の聖書=ルカ17・5~10 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木 に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。 2013.10.03 日曜日の聖書
日曜日の聖書 年間第26主日:モーセと預言者に耳を傾けないのなら、死から生き返る者の言うことも聞き入れはしない 年間第26主日(C年)の聖書=ルカ16・19~31 〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。 2013.09.28 日曜日の聖書
日曜日の聖書 年間第25主日:どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない 年間第25主日(C年)の聖書=ルカ16・1~13 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 《「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 2013.09.21 日曜日の聖書
日曜日の聖書 年間第24主日:一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちに喜びがある 年間第24主日(C年)の聖書=ルカ15・1~32 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。 2013.09.13 日曜日の聖書
2022年/C年説教=弱き者を救う神 復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か? 人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。 2022.04.21 2022年/C年説教=弱き者を救う神
日曜日の聖書 聖金曜日:イエスは、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19・30) 主の受難の福音(ヨハネによる主イエス・キリストの受難=ヨハネ18・1~19・42)夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。 2022.04.14 日曜日の聖書
826ブログ 聖金曜日はことばの典礼、十字架の礼拝、交わりの儀の3部構成 聖金曜日(主の受難)の典礼祭儀は、普段とは全く違っている。まず祭壇の飾りがない。入祭の歌もない中、神父さんは赤い祭服をつけて静かに入堂し、祭壇の前でひざまずくか伏臥してしばらく沈黙の祈りをささげる。その後祭壇から会衆席に向かっていつもの「祈りましょう」の招きもなく、祈願を唱える。 2015.04.04 826ブログ
日曜日の聖書 聖木曜日:イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた(ヨハネ13・1) 主の晩餐の夕べの聖書(ヨハネ13・1~5)過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。 2022.04.14 日曜日の聖書