「神への道標」
2018年説教の年間テーマ「神への道標」

四旬節第1主日(B年)の説教=マルコ1・12~15

2018年2月18日

カトリック教会では四旬節、韓国では平昌五輪

カトリック教会では、14日から四旬節に入り、イエスさまのご受難に向かって、その準備が始まりました。

一方で、韓国では冬季の大イベント「平昌五輪」が開催されています。今回のオリンピックは、多方面に及ぶ問題、話題が持ち上がり、競技開催の裏側では、さまざまな思惑が飛び交っているのではないかと思われるような出来事が起こりました。これらの出来事が、選手にとってマイナスへの引き金にならないようにと願います。

ニュースでは、日本もこの度は大いに期待できる競技種目があるということで、楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。その中の一つに、スピードスケートがあります。世界ではオランダが圧倒的に強いということで実績を残しています。前回のソチ五輪までに獲得したメダルは、通算105個を数えています。(讀賣新聞大阪本社、2018年2月13日朝刊)

オランダの「スピードスケート王国」に思う

オランダは「スピードスケート王国」と言われるほどあって、リンクで子どもの誕生会をするようです。スケート場も、軽食などを提供し、パーティー用のイベント会場として使えることを売りにしているということです。

また、スピードスケートの競技人口は約1万人と、日本の約4倍に上ります。競技人口の多さは、「スケート王国」としての長い歴史と共に、その国土も影響しているのではないかと思われます。どういうことかと申しますと、オランダの国土は、九州とほぼ同じ面積の約4万1500平方キロ・メートル。うち4分の1近くが干拓で形成されており海抜0メートル以下です。張り巡らされた運河は、冬場に凍るため、スケートはもともと移動の手段として普及していったのだそうです。その後、娯楽として普及し、13~14世紀にはすでにレースも行われていたといいます。

スケートに親しむ温床は縦横に走る運河の凍結

オランダではこれまで、冬場になると運河が凍り、親子でスケートに出かけるのが普通であったようです。いわば、冬場の外遊びの基本がスケートだったのです。毎日、わたしたち日本人がやっているわたしたちの遊びの感覚で、オランダの子どもたちはスケートをやっているのです。楽しくないはずはありません。楽しいと上手になっていくのも早いです。それも、上手な人のまねをすることによって、いつの間にか無理なく強く、うまくなっていくのです。自然とお互いがコーチになっているのです。

自然に湧き出る思いに駆られ、冬の外遊びの場へ

周囲から急き立てられることもなく、オランダの子どもたちは、その内側から押し上げられる思いに駆られてスケート靴を履き、運河に出ていきます。その「運動」の積み重ねの中で、自分の「スケート」への適性が分かってくるようになるのでしょう。その中から名選手として世に出てきた人がたくさんいます。

人間の場合は、一般的に言えることは、自己の将来については、日々、徐々にその先が開かれ、見えてくるようになります。それは、日常の営みの中で培われ、方向づけられていくのでしょう。とはいっても、絶えず迷いがついて来ます。だから、自分を鼓舞していく必要があります。そして「やる気」が自ずとわきあがって、大げさに言いますと、己の人生の「使命」に目覚めていくのではないでしょうか。

イエスは自分の内なる霊に促されて荒れ野に

イエスさまも、その内なる「霊」に後押しされて荒れ野に向かいます。イエスさまは、普通のわたしたちと同じように、人間としての柔らかい感受性を兼ね備えています。わたしたちが感じる悲しみ、喜び、痛み、辛さを感じることがおできになります。したがって、できれば、そういったマイナスな状態を避けたいと思われるのも、わたしたちと同じです。

ところが、「メシア」としての役割を担っているイエスさまが、公の場に登場なさる前に、神は「荒れ野」にイエスさまを追いやり、訓練されます。どのような苦境に追いやられても、神だけが支えであるということを体感できる場が「荒れ野」だからです。その訓練の後についてくるのが、確固たる神への信頼です。

四旬節は神から提供された「訓練の場」

わたしたちはどうでしょうか。あのオランダの子どもたちが、家族そろって日常生活の一部として過ごしていたスケート遊び、その中で心身が鍛えられていったように、わたしたちの信仰も、日常の中で積み上げられていくものでしょう。特別な訓練の場が提供されなくとも、普通の生活の流れとして吸収できればこの上ないことです。自身の内なる「後押し」を感じているでしょうか。

現代のわたしたちにとって、四旬節は神から提供された「訓練の場」ということはできないでしょうか?!大事に過ごしてみたいです。