『受難の主日』の聖書と説教はこちら

2019年/C年説教=召ばれています、いつも

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年間第16主日:必要なことはただ一つ。それは相手を慮る「愛」の心

「必要なことはただ一つ」とおっしゃるのは、マリアがどうしてそのような態度に出たのか、マルタに、そのことを思いやってあげる温かさ「愛」が欠けていたと、イエスは言われたのでしょう。日常、同じ屋根の下で生活し、同じ職場で仕事をし、地域社会で奉仕している人々の心のうちを慮ってあげることは、私たちすべての者にとって、大事なことではないでしょうか。
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年間第15主日:父なる神に声をかけられている。同じようにしなさい

普段に生きていくこと、この積み重ねの過程で、神のみ旨は実現されていきます。一人ひとりの「見えない力」もまた、その都度、新たに強められ、高められていくのです。誰もが呼ばれ、声かけられているのです。
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年間第14主日:日々の生活の場で、傍らに居るイエスに気づいていますか

使徒たち(12人)でさえ、イエスの直接の援助と時間と行動の積上げを長年体験してここまで来たのです。今のわたしたちも当然のこと、日々の生き方の中(使徒活動の現場)で、そうありたいと積み上げているのです。これが「信仰生活」でしょう。必ず、イエスがともに、その傍らにいてくださっているのです。
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年間第13主日:響き合う仲間づくりを!まずは自ら求め、目指して欲しい

人の内側に秘められた信念・心情は、いずれ、どこかに、何らかのかたちを取って表に出てきます。「わたしの顔」はどのような表情を見せているのでしょう。元気な笑顔は、明るい、勢いのある顔は、心身の健康を助長させてくれます。その力を借りて、響き合う仲間づくりを目指しましょう。
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キリストの聖体を頂くたびに、イエスを、その優しさを感じていますか

聖体の制定は、イエスがご自分の受難と復活を通して全人類に与え尽くされることを願ってのことです。だから、「渡される夜」に制定された聖体によって「わたしは代の終わりまで、いつもあなたがたともにいる」(マタイ28章20節)というイエスの使命が全うされていきます。そして、ご聖体をいただくたびに、わたしたちの信仰センスも成長していきます。

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三位一体:「知」だけでなく「心」の世界で分かりあい、交わり合いたい

「人間の救い」という出来事は、人の知性の問題ではなく、神の恵みによって高められて初めて受け止めることができる神秘です。わたしたちは三位一体の交わりの中に招きいれられました。この交わりを深め、日常の煩雑さの中でも、絶えずこの交わりに戻っていくような「信仰センス」を大事にしていきたいですね。
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聖霊降臨:霊の働きかけを聞いていますか、見ていますか、感じていますか

わたしたちの中には、本来、神から与えられているタレント、恵みがあります。それを覆い隠していく様々なものが、外側から次から次へと加えられていきます。霊の働きを邪魔してしまうほどの強力なものもあります。本来の「わたし」の姿、イエスを伝えること、に気づき、生きる「楽しさ」を一日一日と味わってみましょう。
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復活節第6主日:聖霊の働き、イエスの平和を感じ、それを喜んでいますか

イエスが「平和」を与えるといわれます。人々の裏切りにも屈服することなく、乱されることのない、ゆるす心からあふれ出てくる「キリストの平和」。さらに聖霊、弁護者を遣わすともおっしゃいます。わたしたちは日々、そのほとんどに気づいていないのですが、立て続けに神からの助け、励まし、導きの恵みをいただいているのです。
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復活節第5主日:不十分でも絆を保ち続けること。新しい何かが生まれる

生き方に関しても、不十分ながらも目指す方向が間違っていない限り、少しずつではあっても、実現へと近づいているのです。弱くても、不十分でもいいんです。大事なことは、「かかわり」を捨てないことです。
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復活節第4主日:羊飼いは羊をよく知り、羊はその声を聞き分ける

イエスは、「わたしと父はひとつである」ことを伝えるべく、羊と羊飼いの話をされます。ここで重要視されているのは、羊飼いと羊の絆の問題です。「わたしの羊」と「わたし」との間にある絆が、いかに強いものであるかが示されています。羊飼いの思いが羊に通じるというのです。なぜなら「わたしは羊を知っている」からです。
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復活節第3主日:イエスの復活顕現は、わたしたちの信仰の要、励まし

イエスの弟子たちへの復活後の出現話は、イエスを信じる今のわたしたちへの、イエスと弟子たちからの「信仰の分かち合い」のように思えます。イエスを信じる“あなた!”、福音の話をどのように思い、感じていますか。
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復活節第2主日:復活したイエスは、わたしたち一人ひとりを心にかける

トマの救いは、懐疑的で、絶望のどん底にある人々に、前を見て、元気に生きることができるよ、というメッセージになりました。また、わたしたちに救いを確信させる出来事であります。これは、わたしたち一人ひとりを心にかけてくれる神の業です。
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復活の主日:復活の魅力は、どんなことがあっても「信じる心に向かう力」

どんな辛さの中にあっても、その状態は意味があって、無駄に終わることはないという確信、信じる心が大事です。この信仰は、父なる神がわたしたち一人ひとりを心に留め、しっかりと面倒を見てくれているという確信から育ってきます。
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四旬節第5主日:人はゆるされて成長し、他者に開く度量も備わっていく

強調したいことは、人には他人を裁く資格があるのかということ。絶えずゆるされ続けてきた存在です。律法学者たちも、そのことに気づかされたのではないでしょうか。悪だくみを考えつつ、自らの何たるかに気づかされ、最終的にはイエスに救われたのです。
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四旬節第4主日:「親子のかかわり」こそが人と信仰が成長する原動力

幼い頃に培ってきた親子のかかわり、それは形を変え、中身を濃くしながら成長していきます。「放蕩息子」から「孝行息子」になる原点は、やはり、親子のかかわりにあります。それも幼い時の親子・家族関係といえないでしょうか。
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四旬節第3主日:ちょっとの悔い改めでも良い!神はそこに入ってくる

「神と人との共同作業」によってわたしたちの日々は進行していきます。一人ひとりの安全も、多くの人びとの「共同作業」の力によって得られ、維持されていくのでしょう。一人ひとりがちょっとの悔い改めを進めたいものです。
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四旬節第2主日:人の顔が一番輝くのは、内面と外面が一つになったとき

神を向き、神との関わりを感じれば感じるほど、祈りは深まります。深まっていけば、いい顔になっていきます。その究極が今日のご変容のイエスの姿ではないでしょうか。たとえ、今の「わたし」が神を感じることができなかったとしても、祈り続けることです。繰り返すことです。いい顔になっていきますよ。
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四旬節第1主日:どんな状況でも!神は人を正当に評価し支えて下さる

イエスが伝えたいことは、「わたし」の人生、日々の歩みは神に向けられたものであるということではないでしょうか。イエスが、ご自身の使命を果たしていこうとするその初期に、このような体験をなさったということは、わたしたちの人生の歩みの「しるべ」を示してくださったのでしょう。
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年間第8主日:人と人との繋がりの基は、イエスの心と態度に求めたい

私たちは他者の欠点弱点をなにかと気にしがちですが、イエスは他の人の重荷に心を向け、その足りなさ、未熟さには寛大な心と態度を示し、希望に満ちた力をお与えになっていました。その極みが、十字架上での祈りです。「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分からないのです」(ルカ23章34節)
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年間第7主日:平和の原点は、イエスの十字架上のゆるしの祈りと業に

イエスご自身が十字架上でゆるしを祈りながら、ゆるすことのすばらしさを示し行動しつつ亡くなられたのです。わたしたち一人ひとりが、イエスに倣って変化、成長していけば、現代社会、家庭にとって、真の平和、希望が訪れる、と諭されます。