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年間第7主日:平和の原点は、イエスの十字架上のゆるしの祈りと業に

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

年間第7主日(C年)の説教=ルカ6・27-38

2019年2月24日

「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり起きているときにけられたりたたかれたりされています 先生どうにかなりませんか。」連日報道が絶えません。「押収動画に別の虐待」という新たな傷害容疑が発生し、父親の栗原勇一郎容疑者(41歳)が再逮捕された報道がなされました。(讀賣新聞大阪本社、2019年2月15日朝刊)

「我が子を虐待する親」の痛ましい報道

報道内容を見たり読んだりするたびに、「どうして、なぜ‥」という思いに駆られます。小学4年生・心愛さん(10歳)の直筆を見ますと、痛々しさを覚えます。同時に感じることがあります。これから判明してくることなのでしょうが、どうして集中的に心愛さんだけに向けられているのでしょうか。同じようなお子さんを持つ親御さんにとっても、いたたまれない気持ちなのではないでしょうか。

この報道情報の隣には、別の「5歳男児虐待 凍傷負わす」の記事が掲載されていました。5歳の男児の顔にドライアイスのようなものを押しつけて凍傷を負わせたとのこと。兵庫県川西署は14日、男児の母親(28歳)と交際していた会社員森内晋平容疑者(48歳)を傷害容疑で逮捕したようです。母親のスマートフォンには、男児とみられる子どもが鼻や耳を洗濯ばさみで挟まれたり、下半身に落書きされたりする画像が残っていたということです。

子の成長には親の関りが欠かせないのに

いずれも成長段階の大事な時期にいる子どもたちです。確かに、成長には筋書きがありません。少なくとも外部に見える形では、成長の先行きは確認できないことです。しかし、子ども本人の中では、本人も気づいていない成長プログラムが保有されているのです。それらが本領発揮するのは、親であったり、周りの大人であったりする人が、子どもたちとどのような接し方をするかにかかってきます。それによって、成長が結実するのです。つまり、勝手に成長することはあり得ないということです。人の「成長」は、植物の「生長」のありかたとは異なります。植物の花のようにはいかないのです。

大人であるわたしたちも、かつて乳児期を過ごし、幼児期を経て青年期を体験し、少しずつ成長してきました。これまでにどれだけ多くの方々と接し、影響を与え、受けてきたことでしょうか。今、「わたし」がこうした生き方、生活ができているのには、必ずきっかけがあったはずです。今がいい状態であれば懐かしく思いだすこともできますが、それほどに思っていないとすれば、苦い思い出になってしまいます。

そうです。わたしたちの人生では、大きな喜びがあると同時に、苦しみがあるのです。どこからこの苦しみはくるのでしょうか。お金や地位に恵まれていないことも苦しみです。病だってそうです。また、老いていくことも避けて通ることはできません。そして、わたしたちの究極は死でしょう。なぜと問われても、そのようにつくられているからです。これらのことは例外なくすべての人に訪れる現実です。

人が互いに傷つけ合う悲しい現実がある

でも、思いもよらない出来事だってあります。人がお互い傷つけ合い、利用し合って、挙句の果ては相手が立ち上がれないほどにダメージを与えてしまうこと。いわゆる、お互いのエゴの、欲望のぶっつけ合いで終始してしまうことです。これが悲しいかな、人間の現実でしょう。そして、それが人間にとって一番強烈な痛み、苦しみになっているのではないでしょうか。

年間第7主日:人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい
年間第7主日(C年)の聖書=ルカ6・27-38 2019年2月24日 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 6・27「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 ...

こうした現実に対して、挑戦的な言葉が、今日の福音でイエスの口から発せられているようです。実に大胆な言葉です。「敵を愛し、あなた方を憎む者に善を行いなさい」と。まさに、人間のわがまま、欲望に挑戦的な言葉です。いわば、自己否定に近い心と業をもって相対するようにとの勧めです。換言すれば、「相手の命を、生き方をまず先に」ということでしょう。

イエスの勧めは挑戦的で大胆なことだが

先述した報道の親子関係で、一般的な言い方になりますが、親御さんは言葉に出さずとも、子どもの命を最優先する生き方をなさっているのではないでしょうか。ここに、親の子に対する「愛」があります。だから、子どもは安心して身を任せ、一直線に前に進んでいけるのです。悲しいかな、現代では、その関係が希薄になってきているような気がしてなりません。どこに「身を任せる」安心できる場所があるのでしょう。

イエスは、今日の福音でその「ところ」を提示なさっているのだと思います。「いと高き方」という言葉で示されています。なぜって、「いと高き方は、恩を知らないものにも悪人にも、情け深い方だからである」のです。わたしたち一人ひとりが、そのように変化、成長していけば、現代社会、家庭にとって、真の平和、希望が訪れる、と諭されます。イエスご自身が十字架上でゆるしを祈りながら、ゆるすことのすばらしさを示し行動しつつ亡くなられたからです。この現実を受けとめましょう。ここにこそ平和の原点があります。
 

【2月24日】年間第7主日(C年)の聖書はこちら

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