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年間第8主日:人と人との繋がりの基は、イエスの心と態度に求めたい

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

年間第8主日(C年)の説教=ルカ6・39~45

2019年3月3日

健康寿命(けんこうじゅみょう、英: Health expectancy, Healthy life expectancy)とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。

出典:ウィキペディア

最近目にした「健康寿命」の記事から

最近では、しばしば「健康寿命を延ばしてみませんか」という言葉をよく目にしたり、耳にしたりします。「安心の設計」のコラム記事に、「糖尿病 運動 食事で管理」という見出しが目に入りました。介護要らずで元気に暮らせる「健康寿命」を延ばしてみませんか、というテーマに呼応する方々の挑戦が掲載されています。(讀賣新聞大阪本社、2019年2月26日朝刊)

その中のお一人に、糖尿病を抱えた埼玉県志木市の主婦、内田美佐江さん(60歳)がおられます。彼女はほぼ毎日、スキーのストックに似たポールを両手に持って歩く「ノルディックウォーキング」を楽しんでいらっしゃるとのこと。普通のウォーキングに比べて、腕の振りや歩幅が大きくなり、消費するカロリーが2割程度多くなるといわれています。

老母を支えるためにも自身の健康保持

ノルディックウォーキングを始めたのは2015年、56歳の時であったということです。約30年前に糖尿病と診断されました。はじめは食事制限や飲み薬で対応してきましたが、徐々に血糖の上昇を抑えられなくなり、インスリン注射が避けられなくなったのです。一日三回の注射。「もうつらい。注射をやめたい」と悩んでいるとき、健康づくりを支援する志木市の事業を耳にして、直ぐに申し込んだといいます。そして今、「やせたね」と言われ、再び飲み薬で血糖を管理できるようになりました。今ではインスリン注射は不要になったのです。「何事にも前向きに取り組めるようになり、気持ちも若々しくいられるようになりました」とおっしゃいます。

内田さんは、隣の市に87歳の母親が住んでいるそうです。目を患い、ほとんど見えない状態だそうです。「母の面倒を見るには、まず私が今元気でいなくてはなりません。これからも歩き続けていきたい」とおっしゃっています。

他者のために生きる価値は認めても

わたしたちの命は、人生は、やはり、他者のために生かされてこそ評価が上がるのではないでしょうか。評価のために行動するのではありませんが、結果としてそうなるということです。こうして、自らの心身の健康が増大していきます。

そうだなと分かっていても、自分の欠点よりも他人の欠点を見てしまい、自分の性格の荒々しさよりも、他人の荒々しさを咎めたり、冷たい言葉を投げかけたりしてしまいます。これが、今の「わたし」の現実ではないんでしょうか。さらに、自分の姿はそっちのけにして、相手の方にばかり要求したりしてはいないでしょうか。こうして、お互いの傷つけ合いが絶えなくなっていきます。

他人の欠点を気にしがちなのが人の常

このような否定的、不足している点ばかりを指摘したからといって、何が生まれてくるのでしょうか。建設的な前向きな動き、雰囲気が芽生えてくるでしょうか。傷つけあうことからは、新たな「傷」が生じてくるだけです。さらに、自らの立ち位置を、自ら不利な状況に追いやってしまいます。いつの間にか、願ってもいない状況に落ち込んでしまっているのです。これらのことも、体験上わかっているのですが、・・。

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このような人間の傾向をご存知のイエスの言葉は、わたしたちにとって痛い言葉として響きます。「『兄弟よ、あなたの目にあるおが屑を取り除かせてくれ』と言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになり、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる」と。

イエスは、他人の未熟さに寛大だった

このようにおっしゃるイエスはどうだったかと言いますと、他の人の重荷に心を向け、その足りなさ、未熟さには寛大な心と態度を示し、希望に満ちた力をお与えになっていました。その極みが、十字架上での祈りです。「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分からないのです」(ルカ23章34節)と祈られたのです。人間の醜さ、我欲、また、それらの恐ろしさをすべてご存知のうえで、弱い、もろい人間への愛は変わることがありませんでした。

人の成長を待ち続け、陰で支えている

さらに、待ちつづけたのです。ゆっくりとしか進歩、成長していかない人間の歩みを。そして、絶えず、わたしたち一人ひとりに問いかけ、呼びかけ、扉をたたき続けられるのです。それは、現代でも、今の瞬間でも続いています。わたしたちが失望しないために、変わり続けていくことができるように、そっと支え続けられるのです。イエスは自らの命を、「どうしようもない人間」の救いのためにお捧げになりました。

わたしたちの人間関係の基は、イエスご自身の中にあります。イエスご自身の生涯にあります。その生き方にあります。

「わたし」の命は他者に開かれ、生かされているでしょうか。それによって、「わたし」自身は、もっと豊かに生かされているのです。

 

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