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待降節第4主日:信仰は絶えず希望をもって生活することで受け継がれる

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説教の2019年・年間テーマ=「召ばれています、いつも」

待降節第4主日(C年)の説教=ルカ1・39~45

2018年12月23日 

いよいよ豊かな祝福をいただくクリスマス!

自分が信じ、生きている信仰生活において、「典礼季節」は自分の日々のあり方を見つめるために、前に進む大いなる力の一つとなっています。それでも「時代」は、その力とは関係ないかのようにさまざまな事件事故を知らせてくれます。

「危険なドリフ 息子巻き込むな」の見出しが気になりました。(讀賣新聞大阪本社、2018年12月18日朝刊)U-25投稿コラム「気流」の紙面に、中学生が投稿しています。このコーナーは、25歳までの若者が対象のコーナーとなっています。

中学生曰く「若者は大人を見て成長する」

神戸市の中学生、山崎尚哉(15歳)さんが投稿しています。

「先日、軽トラックを横滑りさせながら走る『ドリフト走行』をしたとして、警察が男性を書類送検したと、ニュースで知りました。

僕は、『やんちゃなお兄ちゃんが技を披露したかったのかな』と思ったのですが、小学2年生の息子がいる31歳の会社員で、ドリフト走行の様子を息子にスマートフォンで撮影させて、動画をインターネットのSNSに投稿していたというのです。

動画を見て欲しいために、下手をしたら死ぬかもしれないことをよく息子にさせるな、と僕は驚き、あきれました。・・・・・(中略)

大人はよく『最近の若者は』と言いますが、若者は大人を見て成長します。大人には、子どもに見せて本当に恥ずかしくない行動をしてもらいたいです」と。

いよいよイエスさまご降誕の日が近づいてきました。この日を、わたしたちはそれぞれの思いで迎えることと思います。今置かれている環境の中で感じている思い、行動を通して準備し、楽しみに待ってきました。それだけに、地球上の全人類にとっての大祝日でもあります。つまり、わたしたち一人ひとりに豊かな祝福をいただく日であるのです。

イエスの誕生は湧き出る喜びと感動がある

ひとりの幼子の誕生は、関係ある人びとにとって、内側からわき出てくる喜び感動があります。「何故なの?」と聞かれても、その理由を説明できないほどに、自ずとわきあがってくるものです。すなわち、そのこと自体が「祝福」と言えるでしょう。

イエスさまの誕生は、神の約束の実現を示すできごとでした。必ず救い主をおくるという約束です。それは、マリアさまの時代をさかのぼることはるか昔のことでした。しかし、マリアさまの先祖たちはそのことを口伝えと生き方の中で後世に繋いできました。そして、「主から告げられたことが成就すると信じた方」マリアさま通して、その約束が実現したのです。エリサベトはそのことを賛美し、喜びのあいさつを返します。

神が人類に約束した救い主の誕生だから

「救い主」の出現までには、長くて苦難に満ちた経過をイスラエルの民は経験します。要するに、神の約束とは真反対の辛くて、悲しい状況に置かれてしまったこともありました。それは、絶望への大きな誘惑でもあったのです。いくら神が見ていてくださるとはいっても、何十年も何百年も繰り返し悲惨な体験が続いてきますと、それにじっと耐えながら待ちつづけることの大変さは並大抵ではありません。しかも、希望を抱きつつ、日常を普通に生きつつ待つのです。

イスラエルの民は耐えに耐えて待ち続けた

わたしたちの日常を見渡してみましょう。過去に、同じような体験をなさった方もたくさんおられることと思います。「神も仏もない」とはよく耳にしたり目にしたりします。神がいるならどうにかしてくれればいいじゃない、なんて愚痴が出てきます。「今」を一生懸命生きていればそれだけ、愚痴の中身もしつこく、さらに高まってくるものです。

待降節第4主日:主のことばは必ず実現する、と信じた方は幸いです。
待降節第4主日(C年)の聖書=ルカ1・39~45 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。

イスラエルの人びとにとって信仰の支えとなっていたのは神殿でした。これが異国の侵入によって破壊されていったのでした。絶望の淵へ追いやられる辛い目に何度もあったのです。自暴自棄の状態になってしまったことが、実際にありました。それでも、耐え続け、信仰を伝え続けたのでした。それは、日々の生き方の中で子どもたちに、孫たちへと受け継がれていきました。イスラエルの人々の信仰は、まさに生活そのものだったのです。

希望している姿を子や孫に見せて伝えながら

何か特別なことをして待っていたのではなく、ごく普通に生活しながらの準備でした。がっかりしたり、諦めかけたりしつつも、一条の望みを頼りに、生きること・信仰することの本物を追求していたのです。ここに彼らの偉大さがあります。「希望している姿、それを頼りに生きている姿」を子どもたちに、孫たちに見せていったのです。日常生活の中でやっていたことなので、いつもの生活のリズムとなっていったのでした。ここに強みがあります。

「ドリフト走行」について投稿した中学生が、いみじくも言っています。「大人には、子どもに見せて本当に恥ずかしくない行動をしてもらいたいです」と。成長過程にある子どもへの教育の基礎は「見せる」ことです。信仰も、その姿を日常の中で、自然と見せることで受け継がれ、養成されていくのでしょう。そう感じています。

そして、豊かな信仰生活への充実感を味わって、楽しく生きることができるように、今年のイエスさま誕生の祝日の恵みをしっかりと願いましょう。

周りの人も環境も、「信じること」の楽しい雰囲気を醸し出してくれます。「わたし」の生きる・信じる支えとなっているものは何?

神の祝福のあらんことを!!

【12月23日】待降節第4主日(C年)の聖書はこちら

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