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カトリック教会の日曜日の説教

2018年/B年説教=神への道標

待降節第3主日: 神の前に自己開示を!神は既に恵みを注がれている

謙虚に神の前に自己を開いてみましょう。神はわたしたち自身が気づかないうちに、すでに、わたしたちに恵みを注がれています。わたしたちはそのことに目覚めるだけです。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第1主日:信仰の「生長」ではなく「成長」に目覚め、期待したい

小さなイスラエルの民が、「人類の救い」という大きな影響力を与える存在になっていきました。彼らの中に生き続けている信仰心の凄さに、忍耐力に、今に生きるわたしたちは「目覚めて」いきたいものです。
2017年/A年説教=神のふところ

王であるキリスト:日常生活で自然に行っている業を確認し、奉献しよう

普段、何気なくやっていることを通して、日々、わたしたちはイエスさまに出会っているのです。このことに気付きたいものです。「最も小さな者の一人にしたことは、わたしにしたのである」とおっしゃっておられるからです。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第33主日:神の意図を生きる現場でどう読むか!掟との関わりは?

人は神の「意図」を知りながらも、自分の都合を優先してしまいがちです。掟や形を守ることだけに終始し、その掟の意図を見誤ると、偏った生き方、人間となりかねません。頂いた能力をフルに生かしながら、神の意図にそって、絶えず前に進み続けましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第32主日:「今」の現実に魅かれながらも、未来の自分に目覚める

人は、未来の、不確かな現実よりも、確かな「今」の現実の方に魅力を感じてしまいます。また、負けてしまいます。ですから、将来の現実がどれだけ重要なのか、そのことをいかに感じるかによって、今の生き方に違いが生じてきます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第31主日:わたしの「権威」のよりどころはどこにあるでしょう?

「権威」は、その人に託された役割をよりよく奉仕できるように付与されているもの。奉仕のための力、エネルギーです。これが、外面的にはイエスさまの姿でもありました。イエスさまの裏付けがある本物の「権威」を求めていきたいものです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

待降節第3主日:「救われるためには、どんなことでもします」と言う覚悟

それぞれの置かれた環境に応じて、やさしさ、思いやり、いたわりあいを勧めています。一言でいえば、実生活の中での隣人愛の実践、これがイエスさまと出会う最高の準備であると今日の福音は伝えています。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第30主日:神の恩恵を具体的に自覚して「神の側」に立っているか?

いつの時代も、何事に対しても、その人の「側に立つ」ということは、その人の恩恵に与ったという自覚の大きさに比例します。はたして、大恩ある「神の側」に立っていますか、いませんか、・・。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第29主日:世界はすべて神のもの!という現実に目覚めるべきです

自力に頼ろうとする者は、いずれ崩れ去ります。神のものを神に返すことが、聖なる人への道のりであり、神の恵みへの感謝の道のりでもあります。それぞれの居場所で、地位で、その役割をお互いに見せていきましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第17主日:得るために支払う準備と努力に、喜びを感じていますか?

イエスさまは得た「物」に比重を置いているのではなく、「支払いをする」ために努力してきたその生きざまに、重きを置いているのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第28主日:日々受けている神からの招待に、どのように対応すべきか

福音の中で王からの招きを拒絶する人、礼服を身につけない人に共通することは、品格と賢明さの無さではないでしょうか。私たちは神からの招待を受けています。その招きをお受けできる「わたし」でいるでしょうか?
2017年/A年説教=神のふところ

年間第27主日:意識改革こそ必要。回心とはより善いものを目指す志です

自分の足りないところ、弱いところを正すことだけが「回心」ではない。より善いことに目覚めていくことが本命だと思います。これまた、大きな「意識改革」ではないでしょうか?
2017年/A年説教=神のふところ

年間第26主日:心の声を聞いて考え直すことが人間らしく生きる秘訣

今日の福音で注目したい表現があります。兄が「考え直して」畑に行ったという言葉とその思いです。はじめは、束縛されるのが嫌だなと思ったのでしょう。その思いがあって反射的に「ノー」といったのでしょうが、その後、彼の中で落ち着きがなくなったのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第25主日:神のなさり方は、常識や人間の思い込みを超える!

神は、みじめで悲しい生き方をしている人間の存在に関心を示し、見ぬ振りができない方なのです。今日も、わたしたち一人ひとりにあわれみ深い神はささやきかけます。「あなたはみじめではありませんよ。さあ、今日も一歩前へ、・・」
2011年/A年説教=神のみことば

年間第8主日:私の命を養ってくれている方は神!ここに信仰者の希望がある

自分の力の限界をすなおに落ち着いて見つめる謙虚さが大切です。自分の人生の全体を、自分の思うように背負うことは、自分の力をこえることです。自分の力の限りを尽くす必要はありますが、「わたし」の人生を見つめ、配慮し、導いてくれる存在者が、別におられるのです。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第24主日:あわれに思うとは、見て見ぬ振りができない神の心

多くの人が、日常生活を離れた特殊な生活現場で生きているわけではありません。ごく日常的な生活、心がまえの中にこそ、聖なる人になるべき現場があると、今日の福音は示してくれます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第23主日:罪は罪、事実は事実として宣言する勇気の先にあるのは愛

わたしたちの日常、何気なくしていることは、いつも神の意志との関りの中でやっていることです。一人ひとりがこのことに目覚めていくときに、人からの忠告も進言も、助言も素直に「わたし」の中に入ってくるのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第21主日:欲望に引きずられながら信仰に生きようとする「わたし」

わたしたちにとって大事なことは、「人そのもの」です。問題点ばかりを探しあてたところで、その人の本物に近づくことは難しくなります。わたしたちは、崇高さと煩悩さを兼ね備えた存在です。こうした人間の中に、信仰があり、だから恵みに支えられているのです。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第19主日:自らについてまわる弱さの奥にある居心地のいい場とは

「人生のあらし」に圧倒されて、神から目をそらしたくなる、そのような体験を重ねつつ盤石な「自分」をめざせるように、力と勇気を願いましょう。いつも生き方の奥にあるのは、居心地のいい「家庭」環境です。親も子も、大人も子どもも、穏やかに伸び伸びと育っていきますように。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第20主日:苦悩の中で出会った神の恵みに気付いていますか?

究極に立たされた時の「温かいまなざし、援助の手」は、人間回復に大きな力です。戦争孤児となり、生きるどん底を体験した方、絶望の淵に追いやられていたカナンの女性。苦悩の中で見出した一条の光、それは恵みとの出会い、神との出会いであったのです。信仰を見出すのは「どんな時」でしょう。