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カトリック教会の日曜日の説教

2018年/B年説教=神への道標

復活節第6主日:キリストが愛したように隣人を愛することはできないが…

わたしたちの日々のなすべき努力は、「わたしたちの弱さを助け、導いてくださる」聖霊を意識し、信頼していくことでしょう。「神に逃げる」ことは卑怯者や弱虫ではありません。人としての温かさを育むこと、豊かな心を抱くことです。
2018年/B年説教=神への道標

復活節第5主日:イエスに繋がっていますか。留まり続けたいですか?

今日の福音の話は「わたしにつながっていなさい」というメッセージが重要な中味ではないかと思います。「つながっている」「とどまっている」というのは、お互いが身も心も任せきってしまうほどのかかわりでないと「安心」できないのではないでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

復活節第4主日:善い牧者は、羊を、わたしたち人間を決して見放さない。

「善い牧者」の生き方は、イエスさまの人類に対する愛の確かさを示すものです。決して見放すことはなさいません。わたしたちがイエスさまを見放さない限り、一人ひとりを名指しで招かれます。
2018年/B年説教=神への道標

復活節第3主日:復活は「教会」誕生の原点。落胆の弟子たちを激変させた!

弟子たちの変貌の大きな要因は?イエスさま主導による「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」くださったからです。復活の大きな意図は、落ち込んでいる弟子たちを勇気づけ、そして、復活の証人として派遣し、教会を誕生させることにあったといえるでしょう。
2018年/B年説教=神への道標

復活節第2主日:復活は、人の感覚を超えた世界に気付かせる神の恵み

ものごとを見る視点が変わることで、本物にたどりつきます。現実の問題も同じでしょう。問題の根に気付きたいですね。人の育ちの問題はどこに根っこがあるのでしょうか。今こそ心の目を見開き、一人ひとりが新たな視点に出会っていきたいです
2018年/B年説教=神への道標

復活の主日:イエスの復活は救いの保証。それはすべの人に開かれている

イエスさまの死と復活は、全人類のために、どのような差別もなしに、わたしたち一人ひとりをつつみこんでくださる神の温かい招きであり、わたしたちの救いの保証です。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第5主日:「自分のいのちを憎む」とは?命の無限の価値に注目しよう

自分を中心とした心の動きを否定し、神中心の動きがある限り、周りへの影響力は増大します。他者にいかに踏み台にされたとしても、その人の命の尊さに、重さに傷はつきません。逆に、豊かな実をもたらします。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第4主日:神に大事にされているからこそ、人を大事にする

世界のアスリートの皆さんも、困難を乗り越えるたびに、自分一人ではなく、多くの方々の支え、援助を感謝し讃えています。支えられているからこそ支えたい、愛されているからこそ愛したいのです。この喜びが互いの間に充満することを、そして、大地がこれを軸に回転していきますように願い祈りましょう。
2012年/B年説教=主との出会い

洗礼者ヨハネの誕生:信仰の育ちは「主の力が及んでいる」から

わたしたちが神のことに関心を抱き始めるのは、最初から神々しい、立派な動機があってのものではないでしょう。ヨハネに対してと同じように、わたしたちにも「主の力が及んでいる」のです。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第3主日:イエスが教える生の源、神への愛に燃えているか自問を

「商売の家にしてはならない」ために、「わたし」をじっくりと見つめてみましょう。信仰者として「生きること」それ自体が「宣教する」ことではないでしょうか!礼拝の中でいただいた恵みと力に助けられ、信仰の分かち合いが、日常生活の中で実践されていきます。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第2主日:イエスは沈黙を守る。その心は人の思いを超えたところに!

ペトロは、自分が思っているメシアとは真逆のイエスさまの姿を、しっかりと見るように促されています。私たちも、何かのとりこになっているとすれば、本来の姿へと呼び戻されたいです。それも、人間の思いを超えたものへと思いを馳せることができれば、・・
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第1主日:内なる「後押し」とは?四旬節は神が与える「訓練の場」

神は「荒れ野」にイエスさまを追いやり、訓練されます。どのような苦境に追いやられても、神だけが支えであるということを体感できる場が「荒れ野」だからです。その訓練の後についてくるのが、確固たる神への信頼です。
2018年/B年説教=神への道標

年間第6主日:救いとは?幸せとは?それが日常の中核にありますか?

今のわたしたちにも、特に、疎外された境遇にある人にとって、「救い」の実感が伴う日々であるよう祈り続けましょう。一人ひとりが違うということは、人間共同体の「財産」です。
2018年/B年説教=神への道標

年間第5主日:自分の弱さ、もろさを直視しながら、人として一歩前へ

今の「わたしらしさ」は何なのでしょう?日本社会という環境に生まれ、育ち、教育を受け、恩恵をいただきながら大きくなり、そして、弱さを持ちながら、間違いながらも託された使命を生きようとしています。いつも振り返りながらその時の自己を直視し、「人間」としてちょっと前へ進みたいですね。
2018年/B年説教=神への道標

年間第4主日:私たちの言動のよりどころは見栄、自慢?それとも奉仕?

神に裏付けられた確かさと豊かさが、わたしたちの権威の源となっているのでしょうか。わたしたちの日常の言動の裏には、見えないところで神がそっと支えてくださっている現実があります。それに気づくことが、奉仕への道のりを歩ませてくれる原動力となっていきます。
2018年/B年説教=神への道標

年間第3主日:神の「お墨付き」は絶対!イエスの招きに自分を託そう

人の世界の「お墨付き」には、「絶対、完璧」はあり得ませんが、神の「お墨付き」は絶対です。イエスさまがわたしたちに与えてくださった愛のすべてを受け、その愛を周囲の人々に与えていく信仰生活をめざしているのでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

年間第2主日:神との関係で方向転換を!そこに人の本来の生きる姿がある

イエスを理解し、魅せられていく。そして、イエスとともに歩いて生きていくことが、信仰者の中心にあります。そうすることで、すべて存在しているものの互いの関係性、存在評価が見えてきて、安定して生きることを楽しむことができます。
2018年/B年説教=神への道標

主の公現:イエスとの絆を深めるために、「平和とゆるす」ことを願う

メシアであるイエスさまに出会える人々は、貧しくへりくだった人たちです。東方からの訪問者も、ユダヤ人からは偶像礼拝者とみられ、異邦人の中でも最低の立場に置かれていた人々です。その彼らが、イエスさま誕生に呼ばれたのです。
2018年/B年説教=神への道標

聖家族:イエス、マリア、ヨゼフの一家団欒時の話題に思いを馳せてみる

神殿からの帰途、イエスさまが行列の中にいなかったのです。両親の心は大いに痛みました。しかも、「どうして、わたしをお捜しになったのですか。わたしは父の家にいなければならないことを、ご存じなかったのですか」と、逆に問い返されます。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第4主日:マリアが持つ神とのコミュニケーション力に着目しよう

イエスさまの救いの業は、一人の女性の一言で始まり、それは分け隔てのない無限の広がりをもった「フィァット」でした。わたしたちにとっては、この上ないありがたいことです。が、その「ありがたさ」が、わたしたち一人ひとりに伝わっているのでしょうか。