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カトリック教会の日曜日の説教

2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第5主日:日常の出来事に神の恵みを感じるのはどのようなとき?

弟子たちがイエスの招きに応えられるようになったのは、復活を経て聖霊降臨の恵みを通してでした。本物の信仰、ゆるぎない信仰は、人間の力によって得られるのではなく神の恵みであり、聖霊の働きによるものです。
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復活節第4主日:それぞれが置かれた場所で、どんな小さなことにも邁進を

どんなに小さなことであったとしても、一人ひとりが置かれた場で、できることに邁進することが肝要です。新型コロナウイルス感染予防対策においても、司祭召命の増大を願うことに関しても、それぞれが与えられた環境の中で邁進しましょう。
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復活節第3主日:ひとり一人の人生に隠されている神の恵みに気づこう

復活節第3主日(A年)の説教=ルカ24・13~352020年4月26日年が若くて元気な時は考えたこともなかったことが、年を重ねてくると、ある事にふと気づいて、思い巡らすことが多くなってきました。脂っこい食べ物には手を出さなくなったなとか、食...
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復活節第2主日:「当たり前の生活に感謝する心」を普段から養い続けよう

「当たり前の生活に感謝」することは、日常が「当たり前でなくなった」から感じる強い思いです。「感謝の心」を日ごろから、大切にして生活できれば、人間関係ももっと穏やかな、安心した交わりの中で、楽しく、豊かになっていくのではないでしょうか。
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復活の主日:今年もなお、「わたし」に語り掛ける神をどこに感じていますか

イエスの十字架と復活が、「わたし」が生きるための血となり肉となっているでしょうか。ペトロのように自分の弱さ醜さに目覚めれば目覚めるだけ、主の復活のありがたさがわかってくるのではないでしょうか。
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四旬節第5主日:わたしは復活であり、命である。このことを信じるか

イエスはマルタに彼女の信仰宣言を要求なさいます。「信じる」ということは、人間の常識では考えられない神の力、人には隠された神の計画を信じるか、という問いかけです。
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四旬節第4主日:神の恵みの力は、「わたし」の弱さの中に全うされる

健常な人は、罪を拒否しようとするあまり、他人の罪を告発することに躍起になってはいないでしょうか。自分自身をつぶさに見つめる「光」を失っているのです。そして、かえって自分が罪の中に留まってしまう結果を招いています。人がそもそも身に負っている弱さ、不完全さは罪ではありません
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四旬節第3主日:人の素晴らしさは、他者との出会いによって磨かれ輝く

今日の福音書の話は、イエスとサマリアの女との出会いの話になっています。この出会いは、サマリアの女にとっては人生最良の出会いとなったのではないでしょうか。その叙述からも分かるように、彼女がイエスに出会うまでの人生は、いろいろな複雑な人間関係の中で、人と交わってきたことがうかがえます。
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四旬節第2主日:主の変容は、今の「わたし」を支え、励ます出来事である

今日、共に見つめてみたいことは「イエスとともに生きようとする『わたし』」なのかどうかということです。神であるにもかかわらず、そのことにこだわらない人生を生きられたイエスに、自分の人生を合わせることができているでしょうか。
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四旬節第1主日:イエスはメシアとしての自己を肯定し、誘惑を試練に変えた

今日の福音では、イエスはメシアとしてご自分の存在、役割をしっかりと見据え、悪魔の3度にわたる「誘惑」を「試練」に変えていくエネルギーとしてお示しになりました。果たして、今の「わたし」は、・・・。
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年間第7主日:自分の限界を知る時、神に向かう素直な自分を見つける

悪人や罪人は、神からの恵みを無視し、自分勝手に生きている人びとです。なのに、神は、いくら無視されようとも、滅びへの道をたどっている彼らが救われるために、惜しまずご自分のひとり子・イエスを十字架に渡されたのです。彼らが気になってしょうがないのです。
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年間第6主日:イエスに対する誤解、それは人生の本末転倒への誘導口

人間関係が全き信頼の上に成り立っていれば、「誓い」は必要ありません。イエスはご自分の到来によって、互いに信頼に満ちた人間関係がここに実現している、『然りは然り』『否は否』、「それ以上のことは、悪い者から出る」と言われます。
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年間第5主日:ダメな自分に目覚めることが神の働きかけを容易にする

イエスの今日のみことばは「塩」にしても「光」にしても、すでに与えられているものです。それらが、それぞれの力を発揮するために邪魔になるものを取り除けということです。ダメな自分に気付くその時、神は動きます。
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主の奉献:イエスは神と人を結び合わせる接点。そのことを再確認したい

今日の「主の奉献」の祝日は、神殿において、イエスを通して、人が神と真に出会えた日であり、神の救いの業があらわにされた日であります。わたしたちもシメオンと同じようにイエスを腕に抱き、神と出会わなければいけませんが、その出会いの場が「おねだりの場」となっていないでしょうか。
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年間第3主日:イエスの業を引き継いでいる「わたし」は、今「やる気」があるか

今日の福音書のイエスのできごとは、いわゆる「世代交代」を宣言しているように思います。長いイスラエルの歴史の中で言い伝えられ、その実現を望み続けてきた「メシア」の到来、それが人々の前で起きているのです。
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年間第2主日:神に呼ばれた者として、人々に何を語り、伝え、見せているのか

池上彰さんは、むずかしい言葉を「やさしく言い換える」ことが、大変むずかしいと言われます。福音宣教にとっても、工夫することは大切です。何よりも大切なのは、「わたし」が洗礼者ヨハネの心を、現代に生きている環境の中で学び、感じ取っていくことではないのでしょうか。
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主の洗礼:神が準備された「自分の姿」に向かうとき、己の個性が輝く

わたしたちが知らないところで神は働いておられます。神が望まれることを、望まれるような形で果たしていくことが、私たちが神に対してとるべき姿なのです。人の育ちも、神が準備され、望まれるように向かうとき、その人の個性が遺憾なく発揮されます。
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主の公現:一人前の信仰者として、より変えられていく自分を目指したい

わたしたちは変わっている(成長している)自分を感じる時があります。それは、救いを必要としている「わたし」と、救おうとしているイエスの愛との出会いが実現した時ではないでしょうか。
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聖家族:三人の共通した「心」は、神は何を「今」望んでいるのかだった

家族に共通した「心」の探求に目覚めてはどうでしょう。マリア、ヨセフは少年イエスに苦しめられ(?)ながらも、学んでもいたのです。三人の共通した「心」は、神は何を「今」望んでいるのかということでした。お互いの中に、神からのメッセージを聴きとり、読み取っていたのです。
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待降節第3主日:便利な生活の中でも、信仰者としての自分を確立したい

時代は変遷しても、イエスの救いの業は時を超えて続けられます。生活が便利、豊かになっていくのは善いことですが、表に見える安易さの陰に、隠れて見えない人間本来の生きていく姿は常に保持し、伸ばしていきたいものです。