『復活の主日』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第22主日:人は「生かされている」ことを一人ひとりが認識すべき

平和としあわせの背後にあるもの、それは、わたしたち一人ひとりの存在が「いただいている存在」であるということです。自分の力で育てあげてきたものではありません。神の愛がなければ存在しえなかった「わたし」なのです。このことを一人ひとりが熟知し、認識していければ・・・
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年間第21主日:「狭い戸口」は自分の身近に。その実りは「慕われる人」

各々魅力ある「わたし」を持っています。それらを発揮することを通して、「救い」への道が開かれていくのではないか・・。「狭い戸口」とは、ごく普段やっていることに、生き生きとかかわっていくことにあると言えるでしょう。
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年間第20主日:わたしたちは平和の伝達者。日々の伝達訓練機会を大事に

「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うか。そうではない。…むしろ分裂だ」とおっしゃいます。しかし、イエスは「わたしはあなた方に平和を残す。わたしの平和をあなた方に与える」(ヨハネ14章27節)と約束なさっています。それでは一体どちらを与えに来られたのでしょうか。それは、イエスの生き方を受け入れるか拒むのかにかかっているということです。
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年間第19主日:苦境に陥った時、神を思うか、自分の思いに留まるのか

きょう福音に登場する話の根底にあるものは、弟子たち、今のわたしたちへの励ましの言葉です。どんな状況にあっても、神は見ていてくださっていますということです。このことを日頃から感じているでしょうか?
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年間第18主日:真の豊かさ、賢さを願って、仲間と今できることを一歩前に

本当の金持ちとは?今日の福音はこのことを伝えようとしているのではないでしょうか。「神の前に豊かになる者」が本当の金持ちなんだ、とイエスは言われます。自分のためだけに金品を蓄えておいては、「愚かな金持ち」で終わってしまうだけだと。
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年間第17主日:祈りは、神の考えを聞き、神の働きに我を託すこと

神は私たちが黙っていても遠くに離れていても、静かに見守り、援助の手を差し伸べようと待ち構えていらっしゃる「オヤジ」のような方なのです。こうした神の姿に元気づけられ、信頼をもってその神に委ねること、これが祈りであるとルカは強調したいのでしょう。
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年間第16主日:必要なことはただ一つ。それは相手を慮る「愛」の心

「必要なことはただ一つ」とおっしゃるのは、マリアがどうしてそのような態度に出たのか、マルタに、そのことを思いやってあげる温かさ「愛」が欠けていたと、イエスは言われたのでしょう。日常、同じ屋根の下で生活し、同じ職場で仕事をし、地域社会で奉仕している人々の心のうちを慮ってあげることは、私たちすべての者にとって、大事なことではないでしょうか。
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年間第15主日:父なる神に声をかけられている。同じようにしなさい

普段に生きていくこと、この積み重ねの過程で、神のみ旨は実現されていきます。一人ひとりの「見えない力」もまた、その都度、新たに強められ、高められていくのです。誰もが呼ばれ、声かけられているのです。
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年間第14主日:日々の生活の場で、傍らに居るイエスに気づいていますか

使徒たち(12人)でさえ、イエスの直接の援助と時間と行動の積上げを長年体験してここまで来たのです。今のわたしたちも当然のこと、日々の生き方の中(使徒活動の現場)で、そうありたいと積み上げているのです。これが「信仰生活」でしょう。必ず、イエスがともに、その傍らにいてくださっているのです。
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年間第13主日:響き合う仲間づくりを!まずは自ら求め、目指して欲しい

人の内側に秘められた信念・心情は、いずれ、どこかに、何らかのかたちを取って表に出てきます。「わたしの顔」はどのような表情を見せているのでしょう。元気な笑顔は、明るい、勢いのある顔は、心身の健康を助長させてくれます。その力を借りて、響き合う仲間づくりを目指しましょう。
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キリストの聖体を頂くたびに、イエスを、その優しさを感じていますか

聖体の制定は、イエスがご自分の受難と復活を通して全人類に与え尽くされることを願ってのことです。だから、「渡される夜」に制定された聖体によって「わたしは代の終わりまで、いつもあなたがたともにいる」(マタイ28章20節)というイエスの使命が全うされていきます。そして、ご聖体をいただくたびに、わたしたちの信仰センスも成長していきます。

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三位一体:「知」だけでなく「心」の世界で分かりあい、交わり合いたい

「人間の救い」という出来事は、人の知性の問題ではなく、神の恵みによって高められて初めて受け止めることができる神秘です。わたしたちは三位一体の交わりの中に招きいれられました。この交わりを深め、日常の煩雑さの中でも、絶えずこの交わりに戻っていくような「信仰センス」を大事にしていきたいですね。
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聖霊降臨:霊の働きかけを聞いていますか、見ていますか、感じていますか

わたしたちの中には、本来、神から与えられているタレント、恵みがあります。それを覆い隠していく様々なものが、外側から次から次へと加えられていきます。霊の働きを邪魔してしまうほどの強力なものもあります。本来の「わたし」の姿、イエスを伝えること、に気づき、生きる「楽しさ」を一日一日と味わってみましょう。
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復活節第6主日:聖霊の働き、イエスの平和を感じ、それを喜んでいますか

イエスが「平和」を与えるといわれます。人々の裏切りにも屈服することなく、乱されることのない、ゆるす心からあふれ出てくる「キリストの平和」。さらに聖霊、弁護者を遣わすともおっしゃいます。わたしたちは日々、そのほとんどに気づいていないのですが、立て続けに神からの助け、励まし、導きの恵みをいただいているのです。
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復活節第5主日:不十分でも絆を保ち続けること。新しい何かが生まれる

生き方に関しても、不十分ながらも目指す方向が間違っていない限り、少しずつではあっても、実現へと近づいているのです。弱くても、不十分でもいいんです。大事なことは、「かかわり」を捨てないことです。
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復活節第4主日:羊飼いは羊をよく知り、羊はその声を聞き分ける

イエスは、「わたしと父はひとつである」ことを伝えるべく、羊と羊飼いの話をされます。ここで重要視されているのは、羊飼いと羊の絆の問題です。「わたしの羊」と「わたし」との間にある絆が、いかに強いものであるかが示されています。羊飼いの思いが羊に通じるというのです。なぜなら「わたしは羊を知っている」からです。
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復活節第3主日:イエスの復活顕現は、わたしたちの信仰の要、励まし

イエスの弟子たちへの復活後の出現話は、イエスを信じる今のわたしたちへの、イエスと弟子たちからの「信仰の分かち合い」のように思えます。イエスを信じる“あなた!”、福音の話をどのように思い、感じていますか。
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復活節第2主日:復活したイエスは、わたしたち一人ひとりを心にかける

トマの救いは、懐疑的で、絶望のどん底にある人々に、前を見て、元気に生きることができるよ、というメッセージになりました。また、わたしたちに救いを確信させる出来事であります。これは、わたしたち一人ひとりを心にかけてくれる神の業です。
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復活の主日:復活の魅力は、どんなことがあっても「信じる心に向かう力」

どんな辛さの中にあっても、その状態は意味があって、無駄に終わることはないという確信、信じる心が大事です。この信仰は、父なる神がわたしたち一人ひとりを心に留め、しっかりと面倒を見てくれているという確信から育ってきます。
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四旬節第5主日:人はゆるされて成長し、他者に開く度量も備わっていく

強調したいことは、人には他人を裁く資格があるのかということ。絶えずゆるされ続けてきた存在です。律法学者たちも、そのことに気づかされたのではないでしょうか。悪だくみを考えつつ、自らの何たるかに気づかされ、最終的にはイエスに救われたのです。