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カトリック教会の日曜日の説教

2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第33主日:救われる道は神のあわれみへの謙虚な信頼、信仰

神の恵みの広さ、やさしさの深さ、人への愛の心は永遠に変わることがありません。「いと小さき者の一人でさえも滅びることを天の父は望まれない」とイエスさまは教えられました。わたしたちは、ありのままの自分を差し出すだけです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

王であるキリスト:私たちが、よってもって立つべき「軸」とは?

ピラトは何度もイエスさまをゆるそうとこころでは思いつつ、ユダヤ人から圧力をかけられ、自分が確信するままに行動できないのです。身の危険を感じると、真理の世界ではなく、虚偽の世界と手を結んでしまいます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

待降節第1主日:ありのままの自分から目をそらさずに実情を見つめること

天を仰いで神を見つめなさいとイエスさまは言われます。人がそのような自分を見つめる時、わたしたちを引き上げる力強い神が、その手を伸ばしてくださるのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

待降節第2主日:神主導で整えられ、導かれ、希望の道が荒れ野に敷かれる

わたしたちからどんなに裏切られ、無視されたとしても、神のわたしたちへの愛の情熱は消えることがないということでしょう。
2016年/C年説教=神のぬくもり

待降節第3主日:隣人愛の実践。心の扉を開いてクリスマスの準備を

ヨハネは誰にでもできるごく普通なことを示します。「二枚の上着を持つ者は、持たない者に分け与えなさい。」生きる場で、神のいつくしみを背景に、隣人へのやさしさ、思いやりを実践しなさい、というわけです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

待降節第4主日:神の約束は日々の動きの中でさりげなく履行される

日々の一歩一歩は神の思いの現れです。だから「今」を大事に!マリアに倣って、神は必ず人間にいいことをしてくれると希望し、信じていきたいです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

聖家族:「家庭」は人の存在すべての根幹であり、苗床です。

いつでも「家庭」は人の存在すべての根幹であり、苗床です。イエス、マリア、ヨセフの聖家族はわたしたち人間家族の生きるすべての見本であり、源泉です。
2016年/C年説教=神のぬくもり

主の公現:救いは自ら放棄しない限り無限に広く行き渡る

良し悪しの判断は神に任せましょう。わたしたちは、ただひたすらに託されている役を生きることによって、わたしの信仰を見せ、語り継いでいきたいものです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

主の洗礼:神と人との関係を知るためには「祈る」こと

ナザレの田舎で過ごしていたイエスさまが、30歳になって躍動し始めます。「機が熟した」のです。ルカは「祈るイエス」の姿を大事にして、ことを実現させていきます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第2主日:人の営みに神がみずから関わって下さる

水がブドー酒に変わったことは、人間の営みの次元のものが、イエスさまのかかわりによって恵みの次元にまで引きあげられるということを物語っています。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第3主日:存在そのものがメッセンジャーになれますように

重要なのは「誰が」語っているかです。誰からも尊敬され、慕われている人であれば、それだけで「メッセージ」を感じます。わたしたちもそのような存在者になっていきたいです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第4主日:イエスの故郷ナザレでの「食い違い」に何を学ぶ

故郷の人々の生き方(地縁血縁)に浸ることを拒否し「食い違い」が始まった。故郷の人々への新しい呼びかけは、すでにメシアとしての歩みが刻まれていたといえます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第5主日:「生きる原型」はプロでありながら限界を知る

ペトロ以下他の弟子たちは、漁師としてプロでした。プロはご自分の限界を知り尽くしています。漁師としては素人のイエスさまに指摘されて素直に網を打ちます。「おことばですから、・・」
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第1主日:生きる柱は神から出て、神に生かされ、神に戻る人生

神から出て、神に生かされ、神に戻る人生であるということです。これらがわたしたち一人ひとりの人生の根底にあるかどうかをわたしたちに語り掛けているようです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第2主日:日常と記念の日を、ともに大切にすることで成長したい

「日常」が得意な男性のみなさん、女性も家族も満足できるような豊かな信仰生活、社会生活をいかにリードできているでしょうか。そのリードにちゃんと乗っかって歯車が合わさっている家族の状態を日常的なものにしたいですね。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第3主日:神は忍耐深いが、甘え続けてはいけない。時を見て回心を

神は忍耐深く待ってくれる方なのです。人を救うためにご自分の独り子を派遣してくれる方なのです。しかし、神に甘え続けていることはできません。時を見て回心することです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第4主日:神は忍耐強く待っている。時がある間に回心を

神はわたしたちの救いのために働きかけてやまない、いつくしみ深い神なのです。だから、時のあるうちに回心しましょう。神からわたしたちを拒否することはありません。神のいつくしみを信じ、神の愛にしっかりとつながっていましょう。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第5主日:イエスと出会って新たな一歩を踏み出す力を願いましょう

これを聞いた人は一人ひとりとその場からいなくなってしまいます。この女を裁く人は誰もいなくなりました。イエスさまは「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

受難の主日:むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け(ルカ23.28)

受難の朗読がなされます。長いルカの朗読の中で、注目してみたい言葉が、嘆き悲しむ婦人たちに向けたイエスさまの言葉です。「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くことはない。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」と。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第3主日:神の元に戻るには、ありのままの自分を直視する

ペトロのイエスさまとの問答の中に、信仰者の、教会の宣教活動の力の源があります。つまり、自分の弱さをしっかりと担い、その状態でイエスさまにゆるされている体験を経ることです。