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年間第12主日:今の時代に、キリスト者に「求められるもの」は何?

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年間第12主日(A年)の説教⇒2026/06/21

【2026】説教の年間テーマ=神は罪びとに道を示される

年間第12主日(A年)の福音=マタイ10・26~33

2026年6月21日

毎日の報道を見て思うのは、最近では悲惨な、陰湿凶暴な事件、出来事が多くなったなと感じることです。特に、いわゆる、「三面記事」に見る報道には、平和で明るい嬉しいニュースが少なくなってきたなと思っていますが、みなさんはいかがでしょう。

「日本において、三面記事(さんめんきじ)とは、日刊新聞の社会面のこと。政治・経済以外の記事という意味合いもある。・・明治時代に乱立した新聞は差別化を図るまたは売り上げを伸ばすことを迫られる中で、社会で起きた衝撃的な事件などを取り上げる傾向が強くなった。この中で、1892年に創刊した萬朝報(よろずちょうほう)は、特にこうした傾向が強く、社会で起きた殺人、事故などの記事を、一・二面の次の第三面で取り上げたことから「三面記事」という言葉を生んだ。この頃の新聞は4ページであることが多く、萬朝報に限らず他の新聞でも同じような構成のものが多く見られたので一般に新聞の社会面の記事を三面記事と呼ぶようになった。」(ウィキペディア、フリー百科事典

「政治・経済」が、わたしたちの日常生活に無関係ということは、もちろんありません。大いに関係しています。その状況の中で、わたしたちの身近なところで発生する生きる現場での出来事は、即、影響してきます。隣人との交わりから発生する事柄だからです。

中でも、人口減少に伴う出来事が、報道内容にも散見されます。

「神輿の手不足が課題となっている南大隅町佐多の伝統行事『御崎祭り』の存続を目指す住民有志らが、取り組みを本格化させる。来年二月の祭りに向けて一般から参加を募り、『再構築プロジェクト』の設立総会と初の練習会を27日、部集会を開く」とか、また、少子高齢化の社会になって、何かと話題になってくるのが、高齢者の活躍、頑張る姿を知らせるニュースです。「最高齢者入選は101歳・75回南日本書道展」という報道もなされています。「鹿児島市の黎明館で開催中の第75回南日本書道展(南日本新聞社主催、明石家協賛)で、最高齢入選を果たした山元久美子さん(101歳)=姶良市=が12日、同館を訪れ作品と対面した」(同上紙)など。

時の移り変わりとともに、その時代に生きる人の姿も変わっていきます。人口減少の波を受けて、社会がどう変わってきたか、また、コロナ感染症発生時の人の生きる姿、さらには、同じ時代に生きる人の年齢層によって、その必要性とその内容の変化はどうなっているのか、など、その動きには目まぐるしいものがあります。

それは学生・生徒の入試の中身にも影響しているようです。入試の問題が多様になっていて、これまでの暗記型では通用しない課題になっているとのことです。いわゆる、「求められるもの」が多様になってきているということです。

「2026年度入学の鹿児島県公立高校入試の結果が5月に公表された。5教科合計の平均点は216・3点(450点満点)。過去のデーターをさかのぼると、平成以降最低だった。問題が難しかったのか?過去の新聞を調べ、10年以上前に自分が受けた問題と比べてみた。当時の問題は形式も単純で問題文も比較的簡潔だった。今は問題文や図、表が多く、一度読んだだけでは理解が追いつかない。文章量も1.5倍ほどに感じた。・・・『今の子は学力が下がっている』という声が聞かれる。果たしてそうか。仮に現役時代に受けたとしても、今の問題は最後まで解けず、高得点も難しいかもしれない。情報処理能力に読解力、幅広い知識・・。求められることが多様になっているからだ。」と報道部の記者は記しています。(同上紙)

わたしたちは、その時代が必要としているものを、その中に生きている者として自然に身に付け、その時に「求められている」ことを、的確に表現できるようになっています。年齢層によってその適格性には濃淡があるとしても、どうにかクリアしています。その環境にいると自ずと身についてくるものでしょう。要するに、その時代の人「らしく」なってくるものです。

年間第12主日:体は殺しても、魂を殺すことのできない者を恐れるな
年間第12主日(A年)の福音=マタイ10・26~33 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。

今日の福音で気づかされたのは、わたしたちが「信仰者」として生き、信者共同体の中で生活していながら、キリスト者らしくなっているでしょうか、と自問自答させられたということです。キリスト者として今の時代に「求められるもの」をしっかりと見極め、確認できているでしょうか。年々社会が変化・発展していけば、わたしたちキリスト者も変化・発展していかなければいけないのでしょう。だからこそもっと主体的に、その変化・発展の流れを共に分かち合い、意見の交換をしながら「キリスト共同体」として成長し、動き、広くその行動範囲を広げていこうとする意欲を駆り立てる必要があります。自分の好きなことだけをしていては、「共同で」動く力には勝てません。

今日の福音で、イエスは「恐れるな」という言葉を三回も繰り返されています。宣教活動を前に、イエスはこれからの弟子たちの道のりが、安易で平坦なものではないことをよくご存じでした。現代でもそうですが、自分にとって魅力あるものが目の前にちらつくと、どうしても身も心もそちらに流されて行ってしまいます。それほどに弱い未熟者です。それだけでなく、周りの人々から避けられ、嫌われ、敬遠されて受け入れられないことだってあります。イエスの時代には、迫害者たちがいました。これはまさに、生きる現場においての苦悩です。

こうした現実を前に、人間としての弟子たちは当然、心騒ぎます。イエスはこうした状況の弟子たちに「恐れるな」と励まされるのです。本当の恐れるべきものをお示しになります。それは「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」と。

こうして、身の回りの危険にひるむことなく、イエスの語ったことを告げる活動を始めるようにと求められます。神は、未来の恐れからも、現在の恐れからも弟子を守ります。

その中で、今「わたしに求められているもの」を確認し、みなで一緒に前に進みましょう。

神は、イエスはわたしたちを恐れから守ってくれています。

今も、いつも、これからも、・・。

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