『年間第33主日』の聖書と説教はこちら

2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第14主日:「神思う心にまさる神心」日々の生活の中で気づきたい

「親思う心にまさる親心」という言葉がありますが「神思う心にまさる神心」ということに、日々、生きる中で気づきたいです。やはり命あるうちに、・・。
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年間第13主日:無力な自分に気づいたら、神の前に謙虚に自らをさらけ出す

ヤイロは自尊心をかなぐり捨てて、恥も外聞も忘れてイエスの前にひれ伏しました。その姿に、彼の謙虚さをうかがい知ることができます。私たちもどんなことにも自分の限界を知りつつ、助け合って共に前に進みたいものです。
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年間第12主日:普段の生活の中で試されている「わたしたち」の信仰

わたしたちは日々、普段の生活の中で試され、克服し、ますます人として、信仰者として、その任にあるものとしてより豊かな人となりを身にまとい、仲間とともにまた、日常に派遣されていきます。
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年間第11主日:「依存社会」でわが身をゆだねる人が目指すべき相手は?

パウロが言っています。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12.9)。であるからこそ、神の働きにゆだねましょう。少しずつ前に進めていくことこそ、イエスから求められている今日の勧めではないでしょうか。
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キリストの聖体:神の愛をどこまでも身近に感じさるためにイエスが制定

信仰の世界で、聖体の制定は、まさに、誰からも受け入れられるわたしたちに身近な、神の愛、イエスのやさしさの具体的やり方です。一片のホスティア、拒もうとすればいとも簡単にできます。それでも、そのやり方にこだわったのが神なのです。
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三位一体:神との交わりを感じていますか、そのことにホッとしていますか

神と「ほっとする関係(まじわり)」ができていますか、という問いを、今日は自らに発してみてはどうでしょう。きっと、気づかなかったこと、見えなかったものが、モヤが晴れたようにすっきりとし、見えるかも、・・。
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聖霊降臨:わたしたちの成長の背後に、そっと、ひそかに、神の働きあり

祈り続けるところに神の働きは「じわじわ」と浸透していきます。わたしたちの弱さの中に、みじめさの中に神の光が見えてきます。こうして、わたしたち一人ひとりは、「神の道具」として変貌し、成長していきます。
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主の昇天:わたしたちの言葉、行いは空虚ではない。真実なものである

イエスのよき仲介者となるために、日々、精一杯生きたいものです。イエスは「信じる者には次のようなしるしが伴う」と言って、わたしたちの言葉、行いが空虚なものではなく真実なものであることを保証してくださっています。
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復活節第6主日:理想は高く、自らは低く、「わたし」は神を見つめて「わたしたち」らしく

コロナ禍にある今だからこそ、もっと一人ひとりが自分の弱さに気づき、弱いからこそ分かち合い、そこから誰かの助けを、支援を受け入れ、もっと「わたしらしく」そして「わたしたちらしく」なりましょう。
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復活節第5主日:自らに問うてみよう!コロナ禍で何を学んでいるか?

過去の歴史から学ぶこと、それは利便性だけでなく、人本来のかかわりに、もっと目覚めることでしょう。打算的ではなく、誠実に・・・。「人の密を避けましょう」というコロナ禍の対策から学んだこと、それは誠実な「人との交わり」に戻りましょう、という人本来の生き方ではないでしょうか。
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復活節第4主日:母子間の確かな信頼関係はイエスと「わたし」の間にも

羊飼いはオーナー羊飼いと雇われ羊飼いの2通りあり、行動を起こすときの原点が両者では大いに異なるのです。雇われ羊飼いは、己の利益を追求する損得の論理です。それに比べ、真の羊飼いは羊を愛しているが故の愛の論理です。
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受難の主日:選択を迫られる時代こそ信仰の感性、人間の感性を豊かに

イエスのそばにいたとしても、心が遠くにある限り、イエスの十字架は「つまずかせる」ものでしかありません。「イエスのほうを向いて」そのそばに立っているとき、「神の子だった」と神の救いの業を見て取ることができます。
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復活節第3主日:弱虫の弟子たちを強い使徒にしたものは何かと言えば

今の教会の原点はイエスの復活にあります。イエスはあくまでも使徒団として弟子たちをお召しになりました。したがって、わたしたちは共同体の中で励まし、ともに豊かになっていくのです。
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復活節第2主日:信仰は、人間の常識を超えた世界(神)との出会い

復活節第2主日(B年)の説教=ヨハネ20・19~31 2021年4月11日 「『昭ちゃん、学校へ行くのは簡単だね!』。2年間学校に行けなかった小5の子どもが、初めて教室登校した日、帰園するなり私に発した言葉だった。27年前のことであるが、今...
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

復活の主日:イエスの復活は、バリア(幕)のない教会づくりの力

復活の祝日は、お互いの間を隔てている「幕」を取っ払い、さらに広く、分け隔てのない新しい共同体(教会)の誕生へと駆り立てる、内的エネルギーにしていきたいものです。
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四旬節第5主日:わたしを、さらに生かすために「わたし」を捨てる

イエスはご自分の死を前にして、真のいのちとは、自分を中心にした利己的な生き方を否定するところにある、と強調されます。だから、「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」と言われるのです。
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四旬節第4主日:愛されていることを実感できたとき、人間は充実する

今に生きているわたしたちキリスト者にとっても、陥りやすい、人を裁きたくなる心、自己顕示欲など、どのように対応しているでしょうか。「先に、神から愛されている」という現実を実感できる出会いがあってこそ、それらを乗り越えることができるのであろうと思いませんか。
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四旬節第3主日:「お蔭さまで~」は相手の中にイエスの姿を認めること

「お蔭さまで~」の生き方の究極の相手は、イエスご自身。つまり、この挨拶の言葉に隠れている思いは、イエスをその人の中に見ているんだということです。それを自分が意識しているか否かは定かではないけど、・・。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第2主日:神と人を相手に交わり、芯のある信じる人生を目指して

イエスの弟子たちへの教育は、適宜に、ゆっくりと、繰り返し、段階的になされていきました。神と人との人格的交わりを強く求める神を宣べ伝えることが、今のわたしたちに託され、継承されています。それだけに芯の通った生き方が求められます。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第1主日:本来の「わたし」とはいったい何者か?を思いめぐらす

コロナ禍の予防対策は、分かっていても辛さが長く続くと負けてしまうことがあります。マスク着用をたたみかけられると窮屈さを覚えてしまいます。わたしたちは何に気づいて、どう鍛錬すればいいのでしょう。神からのメッセージは?・・・思い巡らしています。