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復活節第4主日:母子間の確かな信頼関係はイエスと「わたし」の間にも

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復活節第4主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

復活節第4主日(B年)の説教=ヨハネ10・11~18

2021年4月25日

お母さんは『ただいまが1ばんうれしい』

「ぼくのおかあさんは 100てんよりも はなまるよりも 『ただいまが1ばんうれしい』だって」。家族の絆や命の大切さなどをテーマにした三行詩の全国コンクール小学生の部で、南九州市の粟ヶ窪小学校2年、下窪剣心君が最高賞の一つ、文部科学大臣賞を受けました。(南日本新聞2021年4月20日朝刊)

日本PTA 全国協議会が主催し「楽しい子育て全国キャンペーン」として毎年三行詩を募っているものです。下窪君が一年生の一学期に同校PTAから募集があり、母奈津美さん(37歳)の愛情あふれる言葉を詩にしたものです。本年、2年生への進級後に賞状が届き、この度の授賞となりました。

母親の子育てのポイントが伝わってくる

このニュースを読んで思いました。日ごろの親子のさりげない関係、それも、温かさを感じさせる飾り気のない親子の姿が見えるような気がします。そして、おかあさんの子ども育てのポイントを見せてくれているように思えました。日ごろのお母さんと子どもの会話を、三行詩に託して投稿した剣心君もさることながら、おかあさんの大事にしている子育ての中心を見る思いです。それは、「人間をつくる」という視点です。英才教育、天才教育に走りすぎるのではなく、のびのびとした環境の中で、生きる上での基本的な感性を、親の言動から読み取って自分のものにしてほしいという親心を感じます。

一日の節目に当たる「あいさつ」などはその一つでしょう。「ただいま~」という言葉の中に、子どもが込めた親へのメッセージと、おかあさんが受け取める子どもからのメッセージが、言葉としては出てこないんですが、その中身を感じ取れるような、・・そのようなかかわりが親子の間で日常なされているのでしょうね。

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「命の大切さ」は、言うまでもなく、これは生きている現場でしか実感できない、体験できないことではないかと思います。学校などの教室で、知識を伝えるように先生が教えることです、というわけにはいかないのではないかと思うんです。

日本では羊と羊飼いの関係は理解し難いが

今日は「善き羊飼いの主日」です。羊と羊飼い、と言われてもわたしたち日本人にはなじみが薄い関係概念です。あくまでも情報として、知識としては知っていても、実感するまでにはないのではないでしょうか。ましてや、羊飼いたちは、羊の一匹一匹に名前をつけ大切にしていました、と言われてもピンとこないのが普通かもしれません。しかし、パレスティナの羊飼いたちは、羊と起居をともにし、羊は羊飼いの子どもたちとともに育ったのでした。したがって、羊の外敵であるオオカミや盗人たちの餌食とならないように細心の注意を払ったのです。羊が一匹でもいなくなると、どんな犠牲をも払って探し続けます。だからこそ、羊にとっては安心感のうちに羊飼いと一緒にいることができます。

現代、日本でもペットブームで猫、犬、その他動物たちを身の回りに置き、ある時は癒されたりして元気をもらっている人が多いと聞きます。そうであれば、願わくは、最後まで一緒にいてあげて欲しいですね、途中で放り出さないで、・・。

羊飼いでもオーナーと雇われの違いに着目

いずれにしても、羊を飼う際に、あまりにもその数が多い時には人を雇う時があります。そこでイエスは、今日、オオカミのたとえをもって、羊と羊飼いとのかかわりを伝えます。この話を通して、イエスのわたしたちに語りたいことは何なのかを受け止めたいです。当時の人々にとって、「羊と羊飼い」の話は一番現実的ですし、何ら説明を付け加える必要もなくなるからです。

お金で雇われたものは、あくまでも雇人です。羊の持ち主である羊飼いとは勝手が違います。何が違うかといえば、それは心の持ちようです。普段、何も危機的な状況にない時はその違いの差は見えませんが、いざその状態になりますと、にわかに羊に対する対応が違ってきます。平時には隠れて表に出てこなかった心の内が、非常事態になるとごく自然に出てくるのです。

オオカミやその他の野獣が腹を空かして、羊を狙って襲ってくることも事実ありました。その時、羊飼いは自分のいのちを賭してオオカミを追っ払ってたたかいます。ところが、雇われ羊飼いは羊を置き去りにして自らが逃げてしまうのです。

良い牧者は自分の子と同じように羊を飼う

つまり、行動を起こすときの原点が両者では大いに異なるのです。雇われ羊飼いは、己の利益を追求する損得の論理です。それに比べ、真の羊飼いは羊を愛しているが故の愛の論理です。

事実、わたしたち一人ひとりの中には欲があり、それも利己的です。このエゴイズムがある限り、イエスが言う羊飼いであることは難しいのかもしれません。しかし、子どもを育てる親の中に、良い牧者の姿を見ることはできるのではないでしょうか。子どもが急な病に罹ると、親は時、所をかまわず、その対応に当たります。

そして、イエスはご自分のことを「わたしはよい羊飼いである」と言われるのです。であれば、わたしたちに対する愛は本当であるということを示しているのです。「よい牧者として」わたしたちを大切にしてくださいます。このことを、今日のたとえ話を通してわたしたちに訴えておられます。事実、今わたしたちがあるのは、そのお陰なのです。

このことがわたしたちにわかるのは、日頃の生活の中においてなのです。あのお母さんと剣心君との何気ない日常のかかわりの中に育った感性が、イエスとのかかわりの間にも育つといいですね。それこそ「わたしの信仰の感性」と言われるものに育つように・・。

 

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