『年間第14主日(C年)』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第3主日:平和は「個」の信頼の構築から。その基にはイエスがいる

大事にしなければいけないのは、「信じていくこと」。その上に立って、お互いは分かり合えるし、平和への機運も高まってくるものです。自ずと人はそちら(平和・安寧)の方向に向かっていきます。その要にイエスはいます。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第2主日:イエスは日常の「些細なこと」でも取り上げて下さる

マリアはそっとイエスに囁きます。「ぶどう酒がありません」と。さらに、給仕している人たちにも言います。「何でもこの人の言うとおりにしてください」と。マリアの配慮は、イエスがいつどのような形であれ、人の営みに関わってくれるであろうというマリアの確信の現われです。このマリアの姿からわかることは、わたしたちの日常のどんなに「些細な」ことでも、神の前に差し出すことができるということです。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

主の洗礼:希望と確信を持つために、イエスに倣い節目での祈りを大切に

この世で、理不尽な出来事がつづく中、それでも希望と確信をもって前に進んで行くためには、「祈る」ことが大事です。イエスがその模範を示しています。祈っているときに新しいことが始まるのです。それがわたしたちの目に見えなくても、確かなのです。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

主の公現:イエスは小さき者、異邦人と称される人々に自分を開示した

イエスのその後の生活をみればわかるように、イエスは小さき者、異邦人と称される人との付き合いを大事にしています。イエスの正体が、訪問者によって明らかにされたということができます。つまり、救いの仕事の第一歩が、その誕生から始まっていたのです。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

聖家族:神の意向は、常に現実の中で示されていることを認識しよう

イエスさまの「冷たい」言葉は、ご自分の使命に目覚めた羽ばたき、独り立ちの瞬間でした。「キレる」ことなく、五感を働かせてしっかりと少年イエスさまの飛びたちを見つめ、後に続きましょう。わたしたちの新たな年への旅立ちです。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

待降節第3主日:救い主に会うために、日々の生活をもっと大事に生きる

ヨハネは意外や意外、生活に則した「行」を行いなさいといいます。しかも、その人が置かれている今の仕事、立場に応じたことを行うようにと勧めます。身近な「隣人愛」の実践です。生きる具体的な現場での思いやり、いたわり合いを実践しなさいと。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

待降節第2主日:神の「つぶやき」を心の耳を澄まして、聴きとりたい

「荒れ野」は、彼らが故郷へ帰るにはあまりにも過酷な世界でした。この砂漠があること自体、彼らの心身のやる気が削がれていったのです。それでも、すべての人は神の救いを見ることができる、と声高らかにヨハネは宣言します。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

待降節第1主日:自分の現実を見つめつつ、「見るべき方」に目覚めよう

幸せを追い求めてやまないわたしたちですが、幸せは一瞬のうちに飛ばされていきます。いつも、そのような環境の中に置かれています。だから「目を覚ましていなさい」とイエスさまは言われます。
2018年/B年説教=神への道標

王であるキリスト:虚偽と妥協の現実にあっても、キリストの真理を望みたい

人の世界では「言葉」が時として不便な「壁」になることもありますが、神との関係では何の問題もないのです。だからこそ、神とのかかわりを確かめ、追及していきたい。その心こそ、わたしたちに救いをもたらそうとして君臨される王、イエスさまが望まれることではないでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

年間第33主日:救いへの道は今日が大事!神にすがって謙虚に生きよう

一人ひとり、自分が置かれている立場を理解し、受け止め、「謙虚に」生きるように目覚めなさい、とイエスさまは勧めます。自分の立ち位置をしっかりと受け止め、謙虚に神のあわれみに信頼する生き様を貫いてみましょう。
2018年/B年説教=神への道標

年間第32主日:真の権威は、各々の日々の生き方の中で培われていく

献金はいいことですが、何も自慢することでもないでしょう、とイエスさまはおっしゃりたいのでしょうか。少なくとも、献金の度に、新たな動機づけをもって捧げたいですね。自分にとって、より有意義なミサ、祈りとなりますように・・・。
2018年/B年説教=神への道標

年間第31主日:相手を大切にする心が双方にあれば、お互いが生かされる

「お互いを大切にする心」がお互いにあれば、お互いが生かされていくことになります。生きる出発点が「相手」にある時、希望に満ちた楽しい生き方を、一人ひとりが満喫できるようになります。信仰者の生き甲斐もそこにあるのではないでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

年間第30主日: どんな痛み、悲しさにも敏感なイエスに必死に叫ぼう

わたしたちは「必死に叫んでいる」でしょうか。今置かれている現状を訴えているでしょうか。願っても、祈っても埒があかないんじゃどうしようもない、で終わっていないでしょうか。人間の痛みと悲しさに敏感なイエスさまです。新たに勇気をだして、神への信頼心をもって叫び、訴えてみましょう。
2018年/B年説教=神への道標

年間第29主日:どんな状況でも、希望をもって歩を前に進める勇気を!

弟子たちも、イエスさまの思いを完ぺきにわがものにして進んできたのではありません。進むうちに、徐々に明らかになってきたのです。要は、歩を前に進めることです。今の自分の姿にがっかりせず、「希望をもって」、前に進む勇気を願い、祈りつつ生きましょう。
2018年/B年説教=神への道標

年間第28主日:今の自分に欠けているものは?環境はそっと語りかけている

今のわたしたちの環境はどうでしょう。良いも悪いも、生かしていける創意工夫が、「わたし」の中にあるでしょうか。答えは、日々生きている「日常」現場の中にあります。ノーベル賞の喜びにも、自然被災の悲しみにも、「永遠をめざした」メッセージが、一人ひとりに投げかけられています。
2018年/B年説教=神への道標

年間第27主日:すべては基礎から始まり、長い年月を経て実り熟する

ノーベル賞を受賞した医学の「基礎研究」は長い年月の先に、その実りが熟しました。わたしたち自身も、目の前のことだけにとらわれず、「人として、信仰者として」の生き方の基本(自分らしさ)を、しっかりと築き、そのための時をかけたいですね。
2018年/B年説教=神への道標

年間第26主日:改革は小さい事から始まる。まずは心と意識の変革が大事

「改革」は、形も大事ですが、先ずは、心、意識の変革から始まるのではないでしょうか。制度をいじるのも結構ですが、いじる人の心はどうなんでしょう。大きな変革は、小さなことから始まります。一滴の水が集まって大海原となります。時をかけて、時を大事に「しもべ」になられたイエスさまについて行きましょう。
2018年/B年説教=神への道標

年間第25主日:偉大な人、魅力的な人は、自分の過ちに目をつぶらない

わたしたちの「人間」としての魅力は、神からの裏付けがあって初めて、真の魅力になっていくのでしょう。わたしたちの信仰者としての内面的、外面的な怠慢生活も、もしあるとすれば、正直に見つめ、認めることによって新たな道が開けます。
2018年/B年説教=神への道標

年間第24主日:イエスは苦しみと十字架を通して、人間を救うメシア

イエスは順風満帆の人にも、辛さ、苦しみの真っただ中にいる人にとっても、さらなる「希望の光」を見させてくださいます。わたしたちがどのように変わろうとも、神は絶えることなく一人ひとりを支えてくださいます。
2018年/B年説教=神への道標

年間第23主日:二千年前の人々の心で「奇跡」を眺め、捉えてみたい

2000年前に生きていた人々の心で「奇跡」を眺め、捉える必要があるでしょう。すると、奇跡の中に込められたメッセージを読み取ることができるのでは・・。イエスさまが歩まれた道のりは、異邦人の地と言われていた町々です。そこの人々に新たな希望をお与えになります。