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カトリック教会の日曜日の説教

2019年/C年説教=召ばれています、いつも

受難の主日:キーワードはゆるし続ける!尽きることのない人間への愛

人間が持つ醜さ、不正と暴力に対して、愛をもってこたえられたイエスのこころ・業は、日々の人間関係で悩むわたしたちに、解決の鍵を与えてくれるものではないでしょうか。イエスのキーワードは、「ゆるし続ける」尽きることのない人間への愛でした。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

受難の主日:今起こっているできごとの中で、イエスの受難を黙想したい

来る聖週間の典礼を通して、神のわたしたちへの関りをじっくりと見つめてみませんか。神にしていただいたあの事、この事、たくさんあるのではないでしょうか。その時の神からのメッセージは何だったのでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第5主日:わたしを、さらに生かすために「わたし」を捨てる

イエスはご自分の死を前にして、真のいのちとは、自分を中心にした利己的な生き方を否定するところにある、と強調されます。だから、「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」と言われるのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第4主日:愛されていることを実感できたとき、人間は充実する

今に生きているわたしたちキリスト者にとっても、陥りやすい、人を裁きたくなる心、自己顕示欲など、どのように対応しているでしょうか。「先に、神から愛されている」という現実を実感できる出会いがあってこそ、それらを乗り越えることができるのであろうと思いませんか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第3主日:「お蔭さまで~」は相手の中にイエスの姿を認めること

「お蔭さまで~」の生き方の究極の相手は、イエスご自身。つまり、この挨拶の言葉に隠れている思いは、イエスをその人の中に見ているんだということです。それを自分が意識しているか否かは定かではないけど、・・。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第2主日:神と人を相手に交わり、芯のある信じる人生を目指して

イエスの弟子たちへの教育は、適宜に、ゆっくりと、繰り返し、段階的になされていきました。神と人との人格的交わりを強く求める神を宣べ伝えることが、今のわたしたちに託され、継承されています。それだけに芯の通った生き方が求められます。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第1主日:本来の「わたし」とはいったい何者か?を思いめぐらす

コロナ禍の予防対策は、分かっていても辛さが長く続くと負けてしまうことがあります。マスク着用をたたみかけられると窮屈さを覚えてしまいます。わたしたちは何に気づいて、どう鍛錬すればいいのでしょう。神からのメッセージは?・・・思い巡らしています。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第6主日:人にしてもらいたいと思うことは何でも、人にしなさい

他者にしていただいたことが、その方の意に即した利活用がなされた時、双方にとって大きな喜びなるのは間違いないことです。わたしたちは誰でも、人のために動き、働き、そのために自らを鼓舞し、その結果、自分の成長と喜びを会得します。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第5主日:自らの現実の直視から、新たな出会い、歩む道が見える

さつま町の取り組みは、町職員が、自分たちの弱さ、足りなさを直視した結果、新たに生まれた、外国人と歩む道であると言えるのではないでしょうか。こうして、真の「おもてなし」が、一人ひとりの中に育っていくのでしょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第4主日:権威ある教えは人の心に響く。豊かに学び実践したい

「権威ある教え」に満ちあふれている、生きることの確かさに心を向け、わたしたち人生のための知恵として、さらに豊かに学び取りたいものです。そして、他の必要としている人へ伝え、与えていくためにも、自分がこれまで受けてきたものを、さらに増し、豊かに育てていきましょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第2主日:イエスのもとにとどまる。真の「わたしらしく」なるために

イエスをぬきにして「わたし」はないのです。また、イエスを失うことは、キリスト教はなくなるということです。イエスとともに「とどまる」ことが「わたし」をより「わたし」たらしめることなのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第3主日:神からの呼びだし、それは「賭ける」人生への呼びかけ

弟子たちが網と船を捨ててイエスについていったという今日の福音書の話の意味は、「賭ける」人生、つまりイエス(神)に賭けて生きていく道を探求しなさい、という呼びかけです。わたしたちの洗礼の秘跡は、まさに、その呼びかけに対する「わたし」の応えです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

主の洗礼:神とともにある日々を大事に、音のないメッセージを読み解く

主の洗礼の出来事は、現実を突き破った先に、わたしたちの目と心を向けさせる「仰ぎ見る目」に気づかせてくれます。その歩みを謙虚に続けましょう。いつの日か、今望んでいることが目の前に展開される日が来ます。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

主の公現:自分の真の姿を見誤ることなく、新たな日々を積み重ねたい

新しい年が始まりました。日々の歩みの中に、真の自分の姿を見誤ることなく求めましょう。そこには、前に進む力と勇気が、いつも備えられています。そのことを自分の中に、そして、身近なところで、実感できることは何でしょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

聖家族:神のみ旨を探しあて、親子の人生をさらに生かし、豊かにする

「お宮参りをする」「神にささげる」等の行為は、その時が来たら、子どもが自分たち親元を離れていくであろう痛みを感じながらも、神のみ旨に自分たちの心をあげていく姿なのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

主の降誕:親と子の宝物に注目!クリスマスはヨセフとマリアの宝物にも気づく日です

ヨセフとマリアの生き方は、イエスさまの救いの業の実現という形を変えた生き方となって花開いたのです。飼い葉おけの幼子の中にその力と愛のやさしさを見つけ、もっとイエスさまに引き寄せていただきたいです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第4主日:お言葉通りに!というマリアの奉献から救いはわたしにも

神のみ前に恵みを得たマリア、それは、神の大きなまなざしに包まれ、守られているということになります。神はマリアにそのまなざしを向け、マリアを通して世界の救いを思い、悲しむ人々、傷ついた人々の上に広げていこうと計画されたのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第3主日:「わたし」に向けられた神の恵みへの道に気づいて欲しい

神の恵み、神の愛、神の思いは、わたしたちの中に、心にすでに注がれているのです。わたしたちはそれに目覚めているでしょうか。その現実に気づいているでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第2主日:メシア(救い主)の力強さは、愛するが故の最高の力です

「ゆるし続けていく」ということの中に、メシア(救い主)としての最高の力があらわれています。ですから、わたしたちは信頼と安心と安全のうちに信じ、希望し続けることができるのです。だからこそなお、わたしたちとしては、立ち直るきっかけを見逃さないことです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第1主日:「目を覚ましていなさい」というイエスのことばを考える

神のわたしたちへの愛のたしかさに気づき、さらなる望みもってこれからを生きるようにという励ましと招きが、「目覚めなさい」という言葉に託されているのではないでしょうか。